保険料は、年金にとって絶対に必要なものでしょうか

年金制度のあるところ、当然のこととして年金給付の費用が必要になります。その費用の調達方法には、保険料方式と租税方式の二つがあります。

ただし実際には、純粋にどちらか一方だけの単独方式をとっている国はないようで、我が国もそうですし、社会保障先進国のスウェーデンでも、両者の併用方式を採用しています。

しかし、日本の場合、保険料の比重が高いだけでなく、保険料の額の決め方や徴収方法について(さらに言えば、社会保障政策の全体についても)、国は、哲学というものを持っていません。哲学という言葉がいやだとおっしゃるなら、年金制度の本質をしっかり認識し、よく考え抜かれた将来の見通しがない、と言い換えてもよいでしょう。

もともと、国民年金法は、日本国憲法第25条第2項の理念に基づいて制定された法律(第1条)ですから、国民年金制度については、国が全面的に責任を負うべきものと考えてよいのですが、このことを規定したこの第1条の中に、実は、さりげなく、「国民の共同連帯によって」という文言が挿入されていて、これが保険料方式の根拠になっています。

憲法25条2項の理念と「国民の共同連帯」とは、矛盾するという見方もできますが、それよりも、保険料方式にするか租税方式にするかという選択は、先に述べた、「哲学」の問題です。

一般的に、年金制度というものは、所得再配分のためにあるもので、富めるものはますます富み、貧しいものはいよいよ貧しくなるという社会の矛盾の、一つの解決法です。

ですから、どのような制度が、このような目的を実現するために最もふさわしいか、ということから出発しなければなりません。

事実、41年前(昭和34年)に国会が国民年金法案を審議している中で、国民年金制度を保険料方式にしたらいいか租税方式にすべきか、年金制度審議会などでも、かなり議論がありました。

また、当時の第31回国会の社会労働委員会では、当時の社会党の委員も、保険料方式に賛成するについて「ほんとうは無拠出年金制度で徹底することが社会保障の一番いい方法だと思う。ただその制度を今から始めるときに難儀があるわけです。そのためにそういう実態に即して、仕方なしに拠出制度をとった。何十年も前から始まっておれば無拠出制度が一番すっきりしていいわけです。それは結局、保険料を徴収しなければ国家財政が年金支払いに耐えない、ということから保険料方式をとったのであって、これが最善、ということで決められたものではないのです。」と発言しています。

これをみても、保険料方式が絶対ではない、ということがお分かりかと思います。

しかも、現行の保険料のあり方は、所得のない(学生はその典型)人からも保険料を徴収すること一つをとってみても、不合理きわまるものです。

しかし何といっても、保険料方式の最大の欠点は、保険料を支払わないものには年金も支払わないという、必然的に無年金者を生むような構造になっていることです。

これは、国民皆年金を唱えて発足した国民年金制度の理想とはまったく相反するものです。事実、無年金者は随所で発生していますが、特に障害年金においてはなはだしいものがあります(障害年金のページをぜひご覧下さい)。

それに政府は、年金制度は世代間扶養だという言い方で、年金問題を、保険料を支払う国民と年金を受け取る国民だけの問題、言い換えると、あたかも、国は年金問題に関与していないかのような論調を広めています。

そこに憲法25条はなく、国民全体による自助の問題であるかのような、責任回避の姿勢がありありと見えます。