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登録日:2001.02.19 ![]() |
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【再取材】 2022.04.18 【更新】 4回 /協力シート
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![]() 縁起飛鳥時代、聖徳太子が斑鳩宮の東南の地に建立された熊凝精舎がこの寺の始まりです。 以来、百済大寺、高市大寺、大宮大寺と遷寺し、我が国随一の国家の大寺として和銅三年(710年)平城遷都に伴い平城京左京六条・七条四坊の地に移建、大安寺と称されました。 輝かしい歴史をもつ大寺として、東大寺大仏開眼会の大導師を勤めた天竺僧・菩提僊那や、奈良仏教の指導的役割を担った唐の高層・導せん、あるいはベトナムの林ゆう楽を伝えた仏哲等々、天平文化を担った国賓級の渡来人たちが、大安寺の僧坊に止宿したと記録に残されています。 外賓のみならず、奈良朝七代目の光仁天皇も、白壁王をしての在野時代、この寺に住して酒歌に興じ(大安寺笹酒の由来)また当時の学僧・勤操に学んだ空海が、のちに真言密教を開いたことはあまりにも有名です。 遣唐僧・道慈律師が唐制に則り完成させたかつての壮大な大安寺式伽藍は、後の長い歴史の中で、残念ながら地中に埋もれてしまい、南都七大寺の外観を失ってしまいました。 しかし近年の発掘調査による遺構の検出や、国の史跡指定により、寺として旧観復元の第一歩をいま、ようやく踏み出すことになりました。 「がん封じ」祈祷していただいた後に、笹酒をいただけます。 竹から出てくるエキスが、体に良いと言うことです。 一月二十三日 光仁会(癌封じささ酒祭り)、六月二十三日 竹供養(癌封じ夏祭り) 。
奈良交通JR・近鉄奈良駅より「大安寺」停留所下車、徒歩10分。
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