鉄壁の外野守備陣

鈴木 誠一


 チームの内野守備を誉める言葉に、「100万ドルの内野陣」というのがある。これが初めて言われたのは1950年代前半の南海にそろった 飯田 徳治岡本 伊三美山本 一人木塚 忠助蔭山 和夫 である。これに続く内野陣というと、V9時代の読売ということになるだろう。2年目から、 王 貞治土井 正三黒江 透信長島 茂雄 という顔ぶれで揃っていた。他にと言えば、1960年代前半の阪神の 遠井 吾郎藤本 勝巳鎌田 実吉田 義男三宅 秀史 や1970年代前半の大洋の 松原 誠J.シピン米田 慶三郎山下 大輔C.ボイヤー がある。ただ、後者の二つにはそれぞれ遠井・藤本、シピンといったあたりに難が残るといえる。

 さて、では外野守備を誉める言葉は、というと、これがなかなかない。「鉄砲肩」「塀際の魔術師」などのような言葉はあるが、「鉄壁の外野陣」などと言う言葉はほとんど使われない。理由は簡単で、内野の場合、ダブルプレー、バント処理など内野で完結する連係プレーが多く、また重要であるが、外野の場合はバックホームなど内外野の連係はあるが外野どうしの連係は少ないからである。それでは、外野手三人をいずれも名手で固めた、「鉄壁の外野陣」と呼ぶにふさわしい例はあるのだろうか。それがこれから書く話である。

 私が、「プロ野球史上最強のチームは?」と聞かれて必ず答えるチームは、実はその年の日本シリーズに敗れている。それでも最強というのは、実は単に選手の数字が素晴らしいからだけであったりするのだが、そのチームとは、1978年の阪急ブレーブスである。パリーグ前・後期を共に制覇し、日本シリーズ前の下馬評も高かったが広岡ヤクルトスワローズの前に敗れたこのチームは、外野に素晴らしい守備陣をそろえていた。その三人は 簑田 浩二左翼手、 福本 豊中堅手、 B.ウィリアムス右翼手 である。

 簑田は、これも巧打・名守でならした 大熊 忠義 に代わってこの年レギュラーに定着したのだがその強肩には定評がある。今なお彼は史上最高の天才と誉める人もいるくらいである。福本は言うまでもなくその俊足を生かしての守備範囲が広い。肩だって決して悪くはない。そしてウィリアムスは強肩で鳴らしている。日本シリーズの時、彼の三塁送球を見たジャイアンツの選手は、以後無理に三塁を狙わなくなったという。この三人の布陣は1980年まで続くが、この1978年は打撃成績も揃って良かった。

 これ以前にもこれ以後にも、これを上回る外野陣は聞いたことがない。この年を中心とする、この布陣こそ、敢えて言う「鉄壁の外野陣」であろう。


参考文献


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written by Power (= S.Suzuki : lucky@lint.ne.jp), at 1996.10. 9.