シリーズ男

鈴木 誠一


 公式戦もさる事ながら、オールスター戦や日本シリーズでそれ以上の活躍をする選手がしばしばいる。そういった選手は、「オールスター男」「シリーズ男」などと呼ばれる。前者で有名なのは 山内 和弘で、 オールスターのMVPに3度、出場すれば毎年のように本塁打をかっ飛ばした。最近では、 清原 和博 が5度のMVPでこれまた毎年のように本塁打を打っている。

 一方で、「シリーズ男」と呼ばれた選手には、なぜか投手が多い。

 たとえば、広島の 山根 和夫が そうである。公式戦では1979年にようやく8勝をあげてローテーション入りしたが、その年の日本シリーズでは3試合に登板、1勝1敗ながら防御率1.80と近鉄打線を抑え、翌年の同じ顔合わせにも3試合で2勝0敗、防御率2.84であった。さらに、敗れはしたが、1984年のシリーズでも3試合に登板して1勝0敗、防御率1.96と抑えている。

 また、「シリーズ男」と呼ばれていたわけではないが、1969年から1973年まで、毎年1勝しかあげてないが、それらがすべて完投勝利、特に1972年までは4年連続して優勝を決める試合での勝利で「胴上げ投手」と呼ばれた 高橋 一三も、 「シリーズ男」といえよう。

 そして、忘れてはいけないのが 足立 光宏である。 V9時代の読売に立ち向かって「シリーズ男」と呼ばれ、V9時代以降はベテランの味を存分に見せて、悲願の打倒読売を果たしてもいる。

 さて、足立のV9時代のシリーズにおける成績はどうであったか。勝敗で言うと5勝4敗で、V9時代のパリーグ投手陣の中では、勝敗ともトップである。ただし、敗戦数では3敗の投手が何人かいるのに対して、勝利数では、足立の次は 米田 哲也の 2勝である。確かにシリーズ男と呼ぶにふさわしい成績である。

 また、出場した5年間での17試合登板、投球回数69.1 もまた、群を抜いた数字である。この5年間のうち、足立がレギュラーシーズンにおいてチームでトップの成績を残したのは1967年1972年ぐらいである。1968年1969年は故障から立ち直りの最中であったが、それでも日本シリーズに登板していた。いかに西本幸雄監督が彼を信頼してシリーズに送り出していたかが分かろうというものである。

 しかし、これを防御率で見てみると、足立の防御率は5.58である。ずっと負け続けてきたわけだから悪いのは当然といえば当然だが、この間戦った阪急・南海・ロッテの主な投手と比べても、かなり低いところに位置しているのである。

 それにもかかわらず、「シリーズ男」と呼ばれる理由、それは、最強と言われたV9時代の読売相手に敢然と立ち向かっていったところにあると言えよう。そしてその記憶は、1976年の日本シリーズ第7戦で完成されるのである。


参考文献


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written by Power (= S.Suzuki : lucky@lint.ne.jp), at 1998. 5.28.