その日、鹿児島の空は薄曇りであった。珍しく肌寒ささえ感じさせる風も吹いたが、球場はそれを上回る熱気に包まれていた。どこにこれだけの数がいたのか、というぐらい、奈良Sのファンが集まっていた。優勝の瞬間を一目みたい、その気持ちで集まってきたのだろう。
だが、果たしてこの試合で優勝が決まるかどうかは疑問であった。だいたい、マジックが出たのが、2日前の試合、同じ対鹿児島戦である。3回までに遠藤信治が2打席連続本塁打を放つなど8点を取り、今シーズンあまり調子の良くなかった大内武誠が2失点完投勝利に抑えたのだ。これで今シーズン初めてのマジック2が点灯した。
翌日は、奈良Sは移動日であったが、鹿児島は桑名へ行って桑名戦で勝利を収め、そのまま鹿児島へ帰ってきた。その結果、首位奈良Sと4ゲーム差で、甲府・利根川・鹿児島が横一線で並ぶという珍しい形になった。4チームとも残り5試合で、奈良Sが5連敗してどこかが5連勝すれば逆転もあったが、奈良Sと直接対決があるのは鹿児島(2試合)だけであり、鹿児島が全勝しても奈良Sが残る3試合で2勝すれば鹿児島は優勝に届かない。他のチームは、1つ負けるか、あるいは奈良Sが1つ勝てば優勝できない。
優勢は確かだが、一気に決めるだけの力があるかどうかもわからない。それでも桜島マリンスタジアムは、立錐の余地の無い盛況になった。奈良Sのファンが、試合前から大声を張り上げている。そんなざわついた雰囲気の中、発表された先発投手は菊池秀章であった。
今シーズンの菊池は、前半戦は好投を続けていたが、後半戦に入って苦しんだ。エースのプライドを前面に押し出す彼にとって、Aクラスで死闘を繰り広げるチームの中心に自分がいないのは歯がゆかった。8月後半の16連勝の時にも、勝ち星を挙げることはできなかった。それだけではない。16連勝が始まる前の敗戦投手が菊池なら、連勝を止めたのも菊池だった。自ら調子を崩す時もあったが、好投すると今度は打線が力んで援護が得られない。悪循環を繰り返し、今季10勝目を挙げたのが、9勝目からまる2ヶ月、10月3日の対甲府戦である。その菊池に、大一番の先発を託すことになった。
1回表、先頭の後藤巧が歩いて、2番の高峰秋良がきっちり送る。形を作ったが、続く3番高原裕之・4番荒石浩が連続三振に終わった。優勝のプレッシャーもあってか、やはり打線は固くなっていた。菊池も、荒れ気味だった。1回裏は二死一・二塁から、皆瀬葵にぶっつけて満塁とされた。新野美里を三振にしとめて何とか切りぬけたが、制球の定まらない菊池に、リードする鹿島実も苦労していた。
2回表、一死無走者でマジック点灯の立役者・遠藤が打席に入る。入団した当時は、同じ遊撃の堀場通孝がレギュラーで売りだし中だった。そのため、堀場に追いつくべく遠藤は黙々と練習を重ねた。それでもレギュラーを奪えない。代走出場ばかりの日々が続いた。出番を求めて移籍を訴えたこともあった。
転機が訪れたのは、高木勝幸が監督に就任した時である。高木は、堀場を外野へ回してショートに遠藤を抜擢した。やっとつかんだレギュラーの座を離すわけにはいかない。以前に増して遠藤の猛練習が続いた。堀場が少しずつ衰えを見せていくのと対照的にめきめきと力をつけ、見事に中軸打者へと成長していった。
スイッチヒッターの遠藤は左打席に入る。4球目をスイングすると、打球は思いのほか伸びて、ライトスタンドに突き刺さった。前日に続く先制アーチとなった。これで菊池も楽になるだろう、という思いは、しかし裏切られた。
その裏、先頭の三条萌葱を歩かせると、三条浅葱・イリア キュロットに連続適時打を浴びてあっさり逆転される。すぐさま3回表に満塁のチャンスを作ったが、T.アムジアが押し出しの四球を選んで同点にするのが精一杯だった。3回裏は3人で抑え、調子を上げるかに見えた菊池だったが、4回裏に投手の秋丸椎香を歩かせると、浅葱にレフト線を破られ、勝ち越し点を許した。鹿島は外角ぎりぎりを突かせたがストライクが入らず、続く2球目が甘く入ったのだった。二死一塁からの失点は大きい。投手コーチの関根哲朗がマウンドへ向かい、高木が投手交代を告げた。
菊池はベンチ裏で大荒れに荒れた。悔しい。リリーフした佐分丈一が、イリアを三振に切って取り、引き上げてきた。ベンチへ戻ってきた鹿島はすぐさま裏へまわり、菊池を懸命になだめた。ベンチの前で小雲光家が佐分のキャッチボールの相手をしていたのは、そのせいである。5回は奈良Sが盗塁失敗、鹿児島が併殺で、それぞれチャンスを潰した。
6回、ベンチ前で円陣を組んだ。今日の秋丸は決して良くない。これまでやってきたとおりにすれば、必ずチャンスはある。一つ一つ大切にしていこう。という内容だった。しかし、その掛け声もむなしく遠藤・岸本政昭と連続して倒れ、あっという間に二死無走者となった。打席に向かったのは、鹿島である。
菊池の入団以来、ずっとボールを受けてきた。その菊池を、今年はうまくリードしてやれなかった。この大事な試合にさえ、である。鹿島の無念の思いは、菊池に負けず強かった。何とかして打ちたい。打てなくても塁に出たい。その執念がバットに乗り移ったのか、4球目をスイングすると、打球はレフト前に転がった。
高木が代打を告げる。出てきたのは18年目のベテラン、堀場だった。堀場もまた、この2年は苦しい思いをしてきた。チーム結成以来在籍する唯一の選手であり、チームの顔として活躍してきた彼だったが、この2年は高原裕之とレギュラー争いをする立場にあった。最初は不満もあったが、同期の松崎高行(高崎)が余力を残して引退するのを見て、とにかくぼろぼろになるまで、野球を続けてみようという気になった。2000本安打という目標があったのも幸いした。代打でもいとわず、ここ一番での存在感を示してチームを引っ張った。そして、8月29日に見事2000本安打を達成することができた。
首位打者争いを繰り広げている後藤がネクストバッターズサークルに入るのが見える。次のチームリーダーに指名しようと思っている男を見て、堀場は考えた。二死一塁はさしたチャンスでもないが、打てば勢いがつく。3割打者2人へつなげることができるだけに、大事な代打だ。だが、秋丸の速球はなかなか打てない。そこで、速球待ちと見せて、変化球一本に絞った。3球目、外しにきたボールが甘く入ったのを捉えると、鹿島の打球と同じようなレフト前安打になった。秋丸の顔に疲労感がにじむ。
後藤が打席に入る。今年の後藤は、出だしこそ今一つだったが、4月後半から調子を上げ、首位打者争いを繰り広げてきた。サヨナラ安打も4本打っている。ここ一番の勝負強さで、一発はないが3番に起用されることもしばしばだった。奈良Sでも一番投げにくい打者である。丁寧にボールを選び、四球で歩いた。続いて、これも3割を打っている高峰秋が打席に入った。
高峰秋は昨年博多から移籍してきた。博多ではなかなかレギュラーに定着できずにいた。だが、優勝争いの常連チームでプレーしてきていただけに、意識は高いものがあった。その男が、金銭トレードで奈良Sへ移籍してきた。
移籍していきなり、高木に呼び出され、叱られ役に指名された。奈良Sにはおとなしい選手が多いので、叱られ役を作って引き締めたい。だが、コーチ時代はどちらかというと選手に優しかったため、監督になっていきなり選手を叱る、というのは勇気がいる。元気で憎めない、少々のことでへこたれない高峰秋の存在は、まさにうってつけであった。叱られ役を引き受けたことで、チームにも早く溶け込めた。そして、秋には首位打者というすばらしい結果が待っていたのであった。
時に空回りもするが、基本的にチャンスは大好きな選手である。思っても見ないおいしい場面に打席に入って、既に心理状態で秋丸より優位に立っていた。呑まれた秋丸が投じた128球目を、3回に放った安打と同じように流す。ライトのライン際に弾んだ打球は二塁打となった。鹿島と堀場がホームに帰ってくる。ついに逆転したのだ。レフトスタンドが大歓声に包まれる。二塁ベース上で高峰秋が両腕を突き上げていた。堀場を迎えたベンチも大騒ぎである。
その時、ベンチ裏では、戻ってきた鹿島が菊池と固い握手をし、互いに抱き合っていた。菊池の目からは涙があふれていた。
6回裏から登板したのは、ラ ポールである。北九州から移籍して3年、「セットアップの鏡」と言われた阿部哲也の跡に、最優秀被打率3度の実績を引っさげておさまった。今年は制球難で崩れるシーンもあったが、ベテランの読みと豪速球で切りぬけてきた。6回には2四球で、7回には二塁打と四球で、二死一・二塁のピンチを招いたが、冷静に切って取った。
その後も、奈良Sは点が取れない。だが、それまでの苦しみにも似た雰囲気はほとんど和らいでいた。ピンチの連続にも焦ることは無かった。8回は久保卓哉が登板、先頭打者を四球で歩かせたが、代打真木奈緒子を三振に切って取ると同時に鹿島が盗塁を刺して、難を逃れた。1点差のまま、9回のマウンドに嵯峨学が向かった。
5日前の対鹿児島戦で通算600セーブを達成。そのコメントも、全く素っ気なかった。ポーカーフェイスでクールな嵯峨は、どんな場面でも表情を崩さない。スタンドのざわめきが大きくなっても、全く動じない。嵯峨が登板すれば、あとは「いつもの光景」が待っているだけであった。
浅葱をショートゴロ、イリアを三振に切って取る。二死から桂羽美に二塁打を許したがやはり表情は変わらない。打席に皆瀬が入る。3球目。威力のあるストレートに詰まらされた。高々と上がったフライは、やがてセカンド後藤のグラブに納まった。
嵯峨は帽子に少し手をやっただけだった。鹿島も喜びをかみしめるように近づいてきた。そんな2人にお構いなく、高峰秋が、後藤が、高原が、リーデンが、荒石が、アムジアが、駆け寄ってきた。ベンチからも続々と選手が飛び出してくる。その中には、6月11日に延長15回代打サヨナラ2ランを放ちながら、夏場の故障で戦列を離れていた浜川亘弘の姿もあった。
高木が胴上げをされている横で、嵯峨と菊池が握手をしていた。派手な喜びようではなかったが、二人の間には何か熱いものが感じられた。それを横で見ていて、鹿島は初めて涙を流した。
10月10日 17回戦 鹿児島 5勝12敗 桜島マリンスタジアム 奈良S 4 = 0 1 1 0 0 2 0 0 0 鹿児島 3 = 0 2 0 1 0 0 0 0 0 [奈良S] 打率 本 1 2 3 4 5 6 7 8 9 後藤 .333 ( 1) 四球 .... 右安 遊ゴ .... 四球 .... 三振 .... 高峰秋 .311 ( 8) 投ギ .... 右安 .... 四球 右2 .... .... 中2 高原 .251 (17) 三振 .... 遊失 .... 三振 二ゴ .... .... 三振 荒石 .257 (34) 三振 .... 二ゴ .... 四球 .... 中飛 .... 三振 アムジア .238 (21) .... 二飛 四球 .... 三振 .... 遊ゴ .... 三振 遠藤 .247 (22) .... 右本 三振 .... .... 二ゴ 中2 .... .... 岸本 .232 ( 1) .... 左飛 .... 左飛 .... 二ゴ 三振 .... .... 鹿島 .191 ( 2) .... 二ゴ .... 中安 .... 左安 .... 中飛 .... 菊池 .044 .... .... 三振 三振 .... .... .... .... .... 堀場 .276 ( 6) .... .... .... .... .... 左安 .... .... .... リーデン .283 ( 7) .... .... .... .... .... .... .... 左飛 .... [鹿児島] 打率 本 1 2 3 4 5 6 7 8 9 琴鳴 .265 ( 8) 遊ゴ 遊ゴ .... 三振 .... 四球 .... 中飛 .... 浅葱 .203 四球 右安 .... 左2 .... 遊ゴ .... .... 遊ゴ イリア .249 (32) 三振 中安 .... 三振 .... .... 三振 .... 三振 桂 .260 (19) 中安 中飛 .... .... 四球 .... 中2 .... 左2 皆瀬 .273 (18) 死球 .... 三振 .... 遊併 .... 三振 .... 二飛 新野美 .253 (21) 三振 .... 二飛 .... 二ゴ .... 四球 .... .... 萌葱 .246 (24) .... 四球 二ゴ .... .... 四球 中飛 .... .... 鶴 .188 ( 7) .... 右安 .... 三振 .... 捕邪 .... 四球 .... 秋丸 .090 .... 投ギ .... 四球 .... .... .... .... .... 一色紅 .000 .... .... .... .... .... 三振 .... .... .... 真木 .320 ( 2) .... .... .... .... .... .... .... 三振 .... 投手成績 勝 敗 S 試 回数 球数 安 振 四 責 防御率 菊池 右 10 7 0 30 3 2/3 87 5 5 4 3 2.88 ○佐分 右 5 3 0 57 1 1/3 19 0 1 1 0 2.66 ポール 右 11 4 3 80 2 48 1 3 3 0 2.74 久保 右 12 3 3 37 1 17 0 1 1 0 2.45 S嵯峨 左 5 3 46 66 1 16 1 1 0 0 2.79 -------------------------------------------------------------------- ●秋丸 右 20 7 0 36 5 2/3 128 6 7 4 4 2.12 一色紅 右 2 0 1 26 2 1/3 42 2 2 1 0 2.13 深水 右 3 3 0 39 1 21 1 3 0 0 4.23 本塁打 遠藤22号ソロ(秋丸)