[BRM]

3.12 はどこから来たのか

追跡


3.12 はどこから来たのか -整理、混同-」において、筆者は以下のように記述した。

残念ながら日本においては、DIPS のコンセプトこそ理解されたものの、その要諦は正しく理解されなかった。コンセプトの中にある、被本塁打、与四球、奪三振といった目に見える項目名から、FIP の算出式があたかも DIPS の公式であるかのように誤って結び付けられ、その認識のまま現在に至っているのである。

本稿では、なぜ誤って結び付けられたのかについての検証を試みる。といっても、筆者はその経緯をリアルタイムでは無論知らず、今となっては入手できる資料も限られている。正直なところ、本稿で検証できたのはせいぜいインターネット上でのやりとりだけである。これで全てが解明できたとはとても言い切れないが、一定の成果は挙げられたのではないかと思っている。

インターネット上で DIPS についての記述を探すと、2ちゃんねるのスレッド「【運?】DIPS議論スレ【実力?】」が見つかる。本来のスレッドは過去ログ倉庫に保管されており、普通に見ることはできないが、そのコピーが unkar.org に残っている。このスレッドは2004年11月1日に作成されたもので、その冒頭で

1:
ボロス・マクラッケンが提唱する新時代の投手査定基準Defense Independent Pitching Statistics (DIPS) の議論スレ

と記述されているように、 DIPS に関する議論をする意図で立てられたスレッドとなっている。

また、記事の2レス目(以下 >>2 のように表記)には、関連情報として

2:
「マネー・ボール」は3月18日よりランダムハウス講談社より発売されています。

と挙げられており、同書の発売に影響を受けてスレッドが作成されたものと考えられる。

3:
またイマイチわかりにくい数値だなあ…

というコメント(>>3)にあるように、この時点では DIPS の概念があまり広く認識されていない様子が伺える。その中で

15:
「奪三振、与四球、被本塁打」をどう組み合わせて指標を算出しているの?

という質問(>>15)に対し、espn.com へのリンクとともに

17:
↓でランキングが見られるけれど、よく判らないのが正直な所。
http://sports.espn.go.com/mlb/stats/pitching?split=0&league=mlb&season=2004&seasonType=2&sort=DIPSERA&type=pitch5&ageMin=0&ageMax=99&state=0&college=0&country=0&hand=a&pos=all

という返事(>>17)がなされている。

これに対して、

21:
計算方だけど、色々あるみたい。
マクラッケンとアスレチックスでも違うようだし、>>17に貼ったやつも別物らしい。
DIPSは具体的な数値と言うより考え方と見たほうが良いじゃないかな?

という意見(>>21)は、正しく DIPS のコンセプト面を捉えている。

先の>>17のリンクについては、

36:
>>17のランクはDIPSERAと言うもので、守備要因を同じにした場合の防御率だそうです

という補足(>>36)が為されている。ただ、同じレスにおいて、

36:
DIPSERA自体がよくわかりませんが、こちら情報がでています。
http://www.tangotiger.net/DIPS2001.html

とリンクが貼られている。

そして同一IDからの書き込みで、

37:
http://mb2.theinsiders.com/fbaseballfrm8.showNextMessage?topicID=465.topic
こちらでは、


FIP = (13*HR + 3*BB - 2*SO) / IP

DIPSera = FIP + 3.2


こんな式ですね。
これなら、日本のプロ野球のDIPSeraも簡単に出せそうです。

と説明されている(>>37)。

このリンク先はサーバが反応しておらず、もはやネット上でたどることは難しいようであるが、少なくともこの時点で、 DIPS と FIP との混同が見受けられる。

その後

50:
>>17のESPNのDIPSERAと>>37のDIPSERAは別物ですよ。

という指摘(>>50)があり

52:
詳しくはわかりませんが、>>37の式でランキングを作ると>>17のランクと食い違います。

としてそれぞれのランキングが示されている(>>52)。ここではまた DIPS ERA についての espn.com における説明文が転載されており、それによれば espn.com での DIPS は DIPS 2.0 をベースに、球場補正を行わず、ナックルボール投手への補正も行っていない値を採用している、としている。

この記事に対し、

54:
>52 不思議ですね。英語の解説をみると同じように見えますが。
ひょっとして、単純に3.2を足しているのではないかもしれません。
まあ、大きな違いは無いようですが。

という反応(>>54)があるように、結局その差異については正確に踏まえられないままである。

以後は単発の質問が続くような流れになっていくが、その中で、

81:
>>37の式で1リーグ時代やもっと前のMLBなどの比較をしたいとすると
係数や加える3.2は固定でいいんですか?

という質問(>>81)がある。それに対して

86:
>>81
こんなのもあるけどね。
dipsERA = (13*HR + 3*(BB-IBB+HBP) - 2*SO)/IP + 3.12

という回答(>>86)が寄せられるが、それを踏まえて、

87:
>>86
これはMLBの有名サイトで評価に使われている式ですね。
どの時代でも係数と最後の3.12は変わらないんですか?

と重ねて質問(>>87)が為されている。今回筆者が挙げた疑問がこの時点で既に示されていたわけである(なお上の記事を書いた人物は筆者ではない)。

それに対する回答はあるにはあったが、

92:
時代によって変化があるかどうかはわかりません。
MLBのDIPSeraを19世紀まで遡って調べましたが、数年のスパンで見ると傾向はあるものの、長いスパンでみれば、どの時代にも、防御率との差が大きい年も小さい年もありました。
ただ、リーグ全体の安打が多い年は差が少ないようです。

という記事(>>92)だった。結局 3.12 という数字の根拠への直接の回答はなかった。

その後

137:
http://www.baseballgraphs.com/winshares/nlpitch.html

FIPというのがわからない。

というコメント(>>137)があり、それに対して

138:
FIP = (13*HR + 3*BB - 2*SO) / IP

これに3.2を足せばDIPSERA

という返事(>>138)があるとおり、この時点でほぼ完全に FIP と DIPS の混同が定着しつつある状況が分かる。

このあたりの混乱ぶりは、

140:
>>138 計算式は既出ですが、問題はその意味です。
ERAなら1試合に何点取られるか?など意味がイメージできますが、
FIPはいまいちわかりません。

という記事(>>140)に対して

141:
>>140
Fは人名の略らしいけど、詳しくはわかりません。

などという回答(>>141)が寄せられるような状況にも見て取ることができるかもしれない。

そして、>>170 において、

170:
DIPS (野球)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/DIPS_%28%E9%87%8E%E7%90%83%29

として、日本語版 Wikipedia の DIPS の記事へのリンクが紹介されているのである。 >>170 が書き込まれたのは2004年11月19日のことであり、この時点での Wikipedia の記事の版は http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=DIPS_%28%E9%87%8E%E7%90%83%29&oldid=1094612 になる。これを見ると、FIP の公式が DIPSera として記述されてしまっているのが分かる。

なお、日本語版 Wikipedia における DIPS の初版は2004年11月15日5時32分のことであり、この時点でのスレッドの最新記事は >>118 であった。その後当日中に3版まで書き改められており、それが上に示した版である。

以上がインターネット上に残されたページから判明した内容である。上のスレッドの作成時期と Wikipedia の記事作成時期が重なること、 Wikipedia の記載内容とスレッドの内容の類似から、 Wikipedia の記事がスレッドの内容に影響を受けて作成され、ためにスレッドでの混同がそのまま反映されてしまったのではないかと考える。

比較的最近でもこの混同が依然として存在することは、実際の出版物などでも分かる。例えば、データスタジアム株式会社が企画・編集して2008年に宝島社より発行した「野球の見方が180度変わるセイバーメトリクス」や、日刊スポーツ出版社が2009年に発行した「プロ野球本当の実力がわかる本 -セイバーメトリクスで見るプロ野球-」のように、タイトルに「セイバーメトリクス」を掲げる書籍においても、 FIP の公式が DIPS の公式として掲載されているのである。

さて、>>37 で示されたリンクについては不明だが、それに当たるものではないかと思われるページがインターネット上には残っている。 FIP の提唱者である Tom Tango のサイトに保存されているページである。掲示板のスレッドの形態になっているが、その中の記事で、 Tango 自身が

Yes, I think a simple:

dipsERA = FIP + 3.2

と述べている(>>16)。

さらに、>>19 には、

Jay, if you want to include FIP, you can do the following:

dipsERA = (13*HR + 3*(BB-IBB+HBP) - 2*SO)/IP + 3.12

と書き込んでいる。この2つのコメントに示された式は、まさに2ちゃんねるのスレッドに書き込まれた式そのものである。

この2つのコメントは、 Jay Jeffe が 2003年の MLB 全投手の DIPS を算出したことについて Tango が紹介した記事の中に収められているものである。 >>16 については前後との脈絡がうまく読み取れないが、 >>19 については、 Tango が、 Jaffe が DIPS を紹介しているページに対して、 FIP を含めて欲しいという意図で書かれているコメントのようである。 >>20 では Jey からtango & studes -- I revised my page to include two links to FIP, one at each of your sites.と返事があり、 Tango と Baseball Graphs の運営者である Dave Studeman の各サイトへのリンクを先の DIPS のページに含めたことが分かる。

その Baseball Graphs のリンク先にはFIP is very similar to DIPs ERA, for those of you familiar with DIPs. In fact, if you add 3.20 to a pitcher’s FIP, you will get a very close approximation of his DIPs ERA (and without all the work).と記されている。 FIP に 3.20 を加えると、 DIPs ERA(= dipsERA) になるのではなく「非常に近い値」を出すことができる、と記されている。

要するに、 Tango は、 FIP に 3.2 を加えると dipsERA そのものが出せる、ということではなく、 dipsERA にかなり近い値が出せるので、 FIP は DIPS をシンプルにしたようなものである、ということが言いたかったのではないだろうか。いささか歯切れが悪いが、 Tango がわずか40分の間に >>16 と >>19 で dipsERA と FIP の異なる関係式を提示している点や、 Baseball Graphs の記述がその状況証拠になるものと考える。

以上の意図で書かれた式が、その式だけが一人歩きして日本に紹介され、誤った結びつきのまま定着してしまったことが FIP と DIPS の混同の真相ではないか、というのが筆者の結論である。英語資料の読解についてはあやふやな点も多いので、これは各読者の目で確かめていただくのが一番であろう。その結果、全く異なる結論が導き出される可能性は十分あると考えている。読者各位のご意見をお待ちしている。


written by Seiichi Suzuki, at 2011. 2.27. / updated at 2011. 2.27.