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牛と馬のトンド_今木 |
御所市今木の中野家に伝わる「中野家の招福行事」で大晦日に藁で作った牛と馬をトンドで燃やす行事が行われています。正月迎えの行事だと思いますが、個人のお家でなさっているのも珍しいものです。 |
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[牛と馬のトンド 1_今木] |
牛も馬も1mぐらいのもので少しわかりづらいですが、八の字のようにくくりつけられているがの牛と馬です。お家で祈祷され(昔はへっついさんのところだったそうです)ご飯を包んだお弁当を結わえてあります。 |
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[牛と馬のドンド 2_今木] |
(2016.12.31)(大淀町) |
砂もち_西畑佐紀神社 |
お正月迎えとして境内に砂を持ち寄り小山のように並べる「砂モチ」と言う行事がいくつかの神社で行われています。私の知っている限りでは奈良市、大和郡山市を中心に5カ所ぐらい。 |
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[砂もち 1_薬師寺] |
(2016.12.30)(奈良市) |
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[砂もち 1_薬師寺] |
(2016.12.30)(奈良市) |
お身拭い_薬師寺 |
仏さまのほこりを掃うお身拭いが行なわれました。午前中にお正月用のお餅をつき、その時に使用したお湯を使って僧侶や青年衆が仏さまの御体を浄布で拭き清める行事。金堂薬師如来像・日光菩薩像・月光菩薩像、大講堂、東院堂など各諸堂でも引き続きお身拭いが行なわれました。(薬師寺HPより引用) |
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[お身拭い 1_薬師寺] |
(2016.12.29)(奈良市) |
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[お身拭い 2_薬師寺] |
(2016.12.29)(奈良市) |
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[お身拭い 3_薬師寺] |
(2016.12.29)(奈良市) |
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[お身拭い 4_薬師寺] |
(2016.12.29)(奈良市) |
かけ鯛の神饌_村屋神社 |
田原本町の村屋神社境内に鎮座する久須々美神社、若宮恵比寿神社とも言われていますが、12月23日に三夜祭でかけ鯛の神饌が供えられます。 |
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[かけ鯛の神饌_村屋神社] |
(2016.12.23)(田原本町) |
おん祭_春日大社 |
長承年間には長年にわたる大雨洪水により飢餓が相次ぎ、天下に疫病が蔓延したので、時の関白藤原忠通公が万民救済のため、若宮の御霊威にすがり、保延元年(1135年)旧暦二月二十七日、現在地に大宮(本社)と同じ規模の壮麗な神殿を造営しました。若宮の御神助を願い、翌年(1136年)旧暦九月十七日、春日野に御神霊をお迎えして丁重なる祭礼を奉仕したのが、おん祭の始まり。御霊験はあらたかで長雨洪水も治まり晴天が続いたので、以後五穀豊穣、万民安楽を祈り大和一国を挙げて盛大に執り行われ、八百七十有余年にわたり途切れることなく今日に至っています。 説明コメントは春日大社発行の解説書、ホームページを参考、引用させていただいております。 12月15日〜18日にわたって多彩に行われます。同時進行のものもあり、また撮影禁止の神事や撮影のはばかれるものもあり全容は記録できません。本年撮影させていただいたその一部を御覧いただきます。出来るだけ違う場面をアップするようにしていますので、過年度の分についてもご参照ください。 |
大宿所祭 |
大宿所は、おん祭の願主役(がんしゅやく)、御師役(おしやく)、馬場役(ばばやく)を勤める大和士が、神事奉仕に当って精進潔斎を行う参籠所である。(旧遍昭院趾)「センジョ(遍昭)行こう マンジョ(万衆)行こう センジョの道に何がある 尾のある鳥と尾のない鳥(兎)と センジョ行こう マンジョ行こう」と子供に囃されたのは懸物(かけもの)のことで大和の大小名より献じられた雉や兎が懸け並べてお供えされたのである。現在も地元篤信者による懸物が境内に寄進されている。 |
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[御湯立1_大宿所祭] |
おん祭の無事執行を祈願して行われる大宿所祭の前に参勤者を清める御湯立(みゆたて)神事。勤められる巫女は特別な一族だけに伝承されています。唱詞(となえことば)を奏上しながらたぎる湯釜から笹で湯を振りまかれます。 |
宵宮祭 |
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[祭列_宵宮祭_若宮神社] |
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[献饌_宵宮祭_若宮神社] |
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[御幌(みとばり)_宵宮祭_若宮神社] |
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お渡り式 |
多くの例では、神様が御旅所へ遷られる行列を「お渡り式」と言われますが、おん祭のお渡り式は、すでに遷幸の儀により御旅所に遷られている若宮のもとへ、祭礼に加わる人々や芸能集団が社参する行列のことを言います。近年に加わったという新しいものもありますが、第一番の日使(ひのつかい)から十二番の大名行列までの多くは古式にのった伝統の行列。 |
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[頭屋児] |
お渡り式の険番とも言える頭屋児(とうやのちご)。影向の松(ようごうのまつ)に向かう。神聖な扱いで足を地に着けないように人馬に乗せて。 |
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[梅の白枝(ずばえ)・祝いの御幣_お渡り式] |
(2016.12.17)(奈良市) |
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[笛吹_田楽の二臈(にろう)_お渡り式] |
(2016.12.17)(奈良市) |
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[大和士(やまとざむらい)_お渡り式] |
射手児を先頭に流鏑馬を奉納した大和武士の伝統を受け継いでいるのが、願主(がんしゅ)役・御師(おし)役・馬場役 ・大和士などの一団である。おん祭はもとは興福寺衆徒が主宰していたが、衆徒(僧兵)国民(武士)が大小名化すると、若宮祭礼流鏑馬願主人を名乗り、ついにはおん祭全体の主催者のようになった。彼らは六党に分れて交代で願主人等を勤めていたが、豊臣秀吉の全国制覇で壊滅してからも、六党の一つ長谷川党の法貴寺氏人が願主人に仕立てられ、さらに明治維新後は旧神領の人々がこれを勤めて現在に至っている。 |
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[大名行列_お渡り式] |
大名行列は、江戸時代からお渡りに加わったもので、武家の祭礼の伝統を大和国内の郡山藩・高取藩などが受け継いで供奉した。一時衰退してい たものを昭和54年に奈良市内の青年達の手によって大名行列保存会が 結成され、「ヒーヨイヤナー」「ヒーヨイマカセー」「エーヤッコラサノサー」の掛け声が聞かれるようになった。 |
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[_お渡り式] |
赤の水干の揚児(あげのちご)、白の水干の射手児(いてのちご)と呼ばれる稚児による流鏑馬。一の的から三の的まで順次射ながら進んで行く。終えて御旅所に向かう。 |
お旅所祭 |
お旅所には正面の一段高い所に若宮神の行宮(あんぐう)があり、その前に小高く約五間(9メートル)四方の芝舞台がある。その前には左・右に太鼓が据えられ、それをとり囲むように周囲に幄舎が設けられている。 |
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[お旅所祭] |
(2016.12.17)(奈良市) |
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[献饌_お旅所祭] |
(2016.12.17)(奈良市) |
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[奉幣の儀_お旅所祭] |
日使(ひのつかい)による奉幣の儀。 |
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[社伝神楽_お旅所祭] |
(2016.12.17)(奈良市) |
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[細男 1_お旅所祭] |
神功皇后の故事にちなむもので、筑紫の浜で、ある老人が「細男を舞えば磯良と申す者が海中より出て干珠、満珠の玉を献上す」と言ったのでこれを舞わしめたところ、磯良が出てきたが顔に貝殻がついていたので覆面をしていたという物語りが伝わっており、八幡神系の芸能と考えられている。 |
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[細男 2_お旅所祭] |
(2016.12.17)(奈良市) |
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[神楽式_お旅所祭] |
神楽式とは、翁を略式にしたものである。翁は新年や大事な演能会・神事の能のはじめには必ず行われて、天下泰平を祈願する儀式である。 |
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[和舞(やまとまい)_お旅所祭] |
和舞は大和の風俗舞で、春日社では古くから行われてきた。今、神主舞が四曲、諸司舞八曲及び進歌・立歌・柏酒歌・交替歌・神主舞前歌等が伝えられ ている。 |
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[蘭領王_お旅所祭] |
中国・北斉の王、蘭陵王長恭という勇将が戦の終ったとき、諸軍士と平和を寿いだといわれている舞である。一説には印度から伝わった曲であるともいわれている。 |
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[納曽利_お旅所祭] |
伝来不詳であるが、竜の舞い遊ぶさまを表した曲といわれ、破と急の二楽章から成る曲である。竜を象どった吊りあごの面をつけ、毛べりの裲襠装束を着け銀色のをの桴をもって舞う。 |
後宴能 |
おん祭の奉仕者の労をねぎらうために行われるお能。前日の夜中に若宮神が本殿へ戻られたあとに行われるので、御殿を背に奉仕者、参観者の方に向かって演じられます。冬陽が差す中、芝舞台に板敷きの舞台でおこなわれます。 |
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[後宴能 1_お旅所] |
(2016.12.17)(奈良市) |
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[後宴能 2_お旅所] |
「羽衣」 |
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[後宴能 3_お旅所] |
「黒塚」 |
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[後宴能 4_お旅所] |
狂言「因幡堂」 |
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