大阪は梅田を中心に「キタ」、難波を中心に「ミナミ」という通称があります。天王寺はその「ミナミ」よりもう少し南にあります。どうしたわけか、大阪の人達の内でも、ガラの悪い地域と思われているふしがあります。近くに釜ケ崎があったり、浮浪者が多いせいでしょうか。そのくせ大阪の印象はと聞かれると、なぜか通天閣や、新世界、坂田三吉が出てくるから不思議です。

天王寺は関西線(今はかっこよく大和路線と言ってます)、阪和線、環状線、近鉄(あべの橋)、阪堺線のターミナルですが、東海道本線、山陽本線、東西線、阪急、阪神のターミナルの梅田の方がスマートに見えるんでしょうか。しかし、天王寺駅は最近ではめずらしくない民衆駅のはしりだったと記憶します。

JRの天王寺の駅の西側に「天王寺公園」、その西に「大阪市立美術館」、その西に「天王寺動物園」、そのさらに西に「新世界」、少し南に上方演芸発祥の地「てんのじ村」があります。天王寺駅の東には「四天王寺さん」があります。

歴史的に遡りますと、その昔、大阪あたり一帯を難波津(なにわづ)とか摂津とか言っていたころ、大陸からの渡来人はこの地域に上陸し(上町台地近くまで沼だったとか)、このあたりを行き来していたのでしょうか。河内明日香や、奈良の明日香、斑鳩、大和の国と交流していたにちがいないと思われます。今も近くに百済(くだら)や杭全(くまた)という地名があるのも関係あるのでしょうか。また、四天王寺がこの地にあるのも意味があるのでしょう。
中世には堺と大坂を結ぶ要所としても栄えたことでしょう。多分江戸時代までは大坂と言えば大阪城、船場、上町台地、天王寺あたりが中心だったと思います。
(この項は浅学の私の勝手な解釈で書いてます間違っていたらご指摘ください)

「新世界」は明治36年に第5回国内勧業博覧会が開かれたところで、アメリカのコニーアイランドを模して盛り場が作られたとのことです。その後明治45年に通天閣はその地にパリのエッフェル塔を真似て建設されたとか、天に通ずる塔として人気のあった初代の高さは64メートルだったそうです。ご他聞にもれず太平洋戦争の時に鉄材として供出を余儀なくされ、いまの通天閣は昭和31年に二代目として建設されたものです。高さは103メートルあります。

当時、通天閣を中心に、芝居、演芸、飲食店が軒を並べ、てんこもりの一大歓楽街を形成していたとのことです。じゃんじゃん横町(当時は横町と言わずじゃんじゃん町だったそうです)もその一角にあり、その名前もこの路地では飲食店の仲居さん達の三味線の音が終日ジャンジャン聞こえていたからとのこと。(私は、てっきりマージャン屋が沢山あるのでジャンジャンかなと思ってました)

この街が有名になったのは坂田三吉を題材の映画や芝居、それに演歌によるところが多いんだと思います。また織田作之助等の小説に多く描かれたり、林芙美子が朝日新聞に連載した小説「めし」で、大阪の庶民性を代表する街として描いたことによるものと思われます。さらには難波利三の「てんのじ村」でさらにその庶民性が紹介されたことにもよるのでしょう。

先日、久しぶりに新世界界隈を歩いてきました。
街の真ん中に、マンションが出来ていたり、スパワールドと言う温泉プールやビルの中をジェットコースターが走っている歓楽ビルがあり、大きく変貌しつつありました。しかし、考えてみれば、この地には温泉劇場という昔にしては先端を行く娯楽施設があったり、ヘルスセンターなどもいちはやくあったそうですから、まあそれはそれで時代なんでしょうね。

数日前に新世界で火事があり、4〜5軒のお店が燃えました。しかし、何日も経たないうちに、さんぱつ屋さんが2階燃えあとの片づかないまま1階で営業再開されています。聞くところ、近所のごひいきさんの大変な協力があったそうです。店の大将もそれに応え、今までの800円を600円に値下げして再建に勤しんでおられます。

じゃんじゃん横町にもゲームセンターが出来たり、パチンコ屋が豪華になっていたり、また飲食店も改装してきれいになっていたりして変わりつつありますが、それでもやっぱりじゃんじゃん横町はじゃんじゃん横町でした。

それに、お芝居の「浪速クラブ」が残ってます。外装は少しきれいになってますが、ちょっと覗いてみますと中は以前と同じ雰囲気でなんだかうれしくなりました。

公園(今はどういうわけか有料になってます)の周辺では野外のカラオケ屋が何軒か並んでました。あの頃(20年前)は同好会的に野外のカラオケが盛んでしたが、今は一曲200円の看板がありました。

この街も変っていくんだろうなとは思います。だって、この街だけが明治村のように見せ物でもないわけで、生活のある街なんですから。よそ者が昔の風景や風情を楽しんでいてもそれは都会人のある種のエゴでもあるわけでしょうから。

でもあの大阪人の根源のような人情とたくましさは何と言っても魅力ですし、残っていてほしいものです。

だからと言って、なになに保存地域みたいなのも余計なお世話ですしね。

やっぱり自然体がいいのでしょう。しなやかに時代時代に残って行く、だからと言ってけっして迎合するでもなく、それが大阪らしいですし、天王寺らしいですから。

(1998/9/13)