高鴨神社
由緒
記述:2002.01.14
この地は、大和の名門の豪族である鴨氏の一族の発祥の地で本社はその鴨族が守護神として斎きまつった日本最古の社の一つです。
「延喜式」神名帳には「高鴨阿治須岐詫彦根命神社」とみえ、月次・相嘗・新嘗の祭には官幣に預る名神大社で、最高の社格をもつ神社でありました。清和天皇貞観元(八五九)年正月には、大和の名社である大神神社や大和大国魂神社とならんで従二位の御神階にあった本社の御祭神とともに従一位に叙せられましたが、それはどの由緒をもつ古社であります。
弥生中期、鴨族の一部はこの丘陵から大和平野の西南端今の御所市に移り、葛城川の岸辺に鴨都波神社をまつって水稲生活をはじめました。また東持田の地に移った一派も葛木御歳神社を中心に、同じく水稲耕作に人りました。そのため一般に本社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ぶようになりましたが、どもに鴨一族の神社であります。
このほか鴨の一族はひろく全国に分布し、その地で鴨族の神を祀りました。賀茂(加茂・賀毛)を郡名にするものが安芸・播麿・美濃・三河・佐渡の国にみられ、郷村名にいたっては数十におよびます。中でも京都の賀茂大社は有名ですが、奉社はそれら賀茂社の総社にあたります。
「日本書記」によると、鴨族の祖先の八尺烏(やたがらす)が、神式天皇を熊野から大和へ道案内したことが記されています。そして神式・綏靖・安寧の三帝は鴨族の、主長の娘を后とされ、葛城山麓に葛城王朝の基礎をつくられました。この王朝は大和・河内・紀伊・山城・丹波・吉備の諸国を支配するまでに発展しましたが、わずか九代で終わり、三輪山麓に発祥した崇神天皇にはじまる大和朝廷によって滅亡しました。こうした建国の歴史にまつわる由緒ある土地のため、鴨族の神々の御活躍は神話の中で大さく物語られています。
高天原から皇室の御祖先である瓊々杵尊がこの国土に降臨される天孫隆臨の説話は、日本神話のピークでありますがその中で本社の御祭神である味耜高彦根神・下照比売神・天稚彦、さらに下鴨社の事代主神が、国造りの大業に参劃されています。御本殿には味耜高彦根神を主神とし、その前に下照比売神と天稚彦命の二神が配祀され、西神社には母神の多紀理毘売命が祀られています。吉くは味耜高彦根神と下照比売神の二柱をまつり、後に神話の影響をうけて下照比売の夫とされた天稚彦、また母神とされた多紀理毘売を加え、四柱の御祭神となったものと考えられます。
現在の御本殿は室町時代の三間社流造の建物で、国の重要文化財に指定されています。なお東神社は皇大神・住吉神・春日神をお祀りしています。

◆年間行事予定
●二月三日(節分) ・稲荷神社例祭・古札焼納祭(笹酒授与)
●二月三日〜五日 ・節分厄除祈願祭
●二月十七日 ・祈年祭
年の首に嘗って、年穀の豊穣を祈ると共に、天皇の御安泰を祈り奉り、併せて国家の安康を祈る祭儀。
●四月十五日 ・春季大祭・合併神社例祭
年穀の豊穣を祈ると共に、世の平和、人々の幸福、流行する疫病の除却を祈る祭儀。
●五月五日 ・献花祭(雅楽奉納)
●七月二十日 ・献燈祭(神楽奉納)・西神社・東神社例祭
自らの存在に感謝し、その心を火に込めて御神前に供し、神を敬い先祖を崇める祭儀。
●七月三十一日 ・夏越しの太祓(茅の輪くぐり)
人形を月いて天下万民の半年間の罪を祓除せんが為に行はれる儀式。
仲秋の名月 ・観月演奏会(雅楽等)
●十月十日・十一日 ・秋季大祭(寿々伎堤灯奉納)
五穀の豊穣に感謝の意を表する祭儀。
●十一月二十三日 ・新嘗祭(新穀感謝祭)
●十二月三十一日 ・大祓式
当社では人形を用いて天下万民の罪を祓除せんが為に行はれる儀式。
●毎月一日 ・月次祭

●四月二十日〜五月五日 ・日本さくら草展示(野点有り)
五百種、約二千鉢
●六月初旬〜下旬 ・花菖蒲(肥後菖蒲)展示
百五十種、約四百鉢

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