撮影 | 2008.10.31 |
岸和田城をゆく |
岸和田城(きしわだじょう)は、大阪府岸和田市岸城町にある城。大阪府指定史跡。別名千亀利城(ちきりじょう)。
現在の岸和田城跡から約500m東(野田町1丁目周辺)にあったところに、岸和田古城を1334年(建武元年)前後に楠木正成の一族和田高家が築城し「岸の城」とも言われ、室町時代には和泉守護細川氏や守護代松浦氏らが居城したと伝えられています。 織田信長の家臣津田信張・蜂屋頼隆がしばらく在城した後、羽柴秀吉は家臣中村一氏を岸和田城主として紀州の根来寺や雑賀衆征伐の拠点として再築城され、その急ごしらえで造られていたものを、小出秀政が5重天守を上げる本格的な構えとした。 松平康重の代に総構えと城下が整備され、岡部宣勝の頃、城の東側に2重、西側に1重の外堀と寺町が増築されている。 1827年(文政10)に落雷で天守を焼失。以降再建されないまま、1871年(明治4年)に廃城とされ、まもなく破却されましたが、昭和29年に鉄筋コンクリート造りで三層の天守閣が再建され、また昭和44年には城壁と櫓が再建されました。 岸和田城は猪伏山(いぶせやま)と呼ばれた小高い丘の上にあり、本丸と二の丸を合せた形が、機の縦糸を巻く器具「縢」(ちきり)に似ていることから蟄亀利城(後に千亀利城)と呼ばれるようになった。 |