タンロン城(金曜日のため入場は出来ませんでした・・・・残念) |
「昇龍」の名前をもつ「タンロン遺跡」は、7~19世紀頃、ハノイの行政中心地だった場所です。李太祖(リー・タイトー)が、1010年に今のハノイ
に遷都し、都の名前をタンロンと名付けてから、 13世紀の陳(チャン)朝、15世紀の黎(レ)朝と、歴代の王城の地でした。
その後、1831年に成立した玩(グエン)朝は都をフエに置きましたが、タンロンがベトナム王朝の都でした。ハノイは副都であり、1887年10月
にフランスによる本格的な植民地時代が始まり総督府も設置されました。
タンロン遺跡は2002年夏、この遺跡のある場所に国会議事堂(バーディン会堂)を立て替えようとしたところ、多数の建築機構が折り重なった
巨大な遺跡が出土したことで発見された遺跡です。その後、調査研究のため、遺跡は月・金曜日は定休日のため入場は出来ません。又この
施設は軍が管理しており、軍の行事、VIPの訪問等の理由により、突然予告なしに、また理由なしに入場が出来ない場合がありますので注意
が必要です。尚、タンロン遺跡は、旧ハノイ城跡とタンロン城跡をあわせたエリアを指します。 |
ハノイ・フラッグタワー(車窓からの見学) |
この塔は、タイロン城塞の南正面を表すものとして造られました。3段の基壇の上に塔が建っていて塔の上に物見台があり、塔内の螺旋階段
を上がり見物する事が出来ます。 |
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タンロン城北正門(車窓からの見学)( |
この門は1805年に建てられたもので城を囲む第二城壁に造られた五つの門のうち現存する唯一の門。ファンディンフン通りに面しているので外
からいつでも見ることができます。
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門の左下に煉瓦が崩れているところがあるが、これは1882年に紅河(ホン河)に停泊するフランス軍の艦艇が撃った砲弾が当たってできた穴だという。 |
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タンロン城の入口でもある端門 |
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この辺り一帯は11世紀から19世紀にかけて栄えたベトナム王朝の城(タンロン城)跡で今は軍関連の施設になっている。 |
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市内での庶民の足の乗り物はやはりバイクと自転車タクシー「シクロ」です。 |
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ベトナムが南北統一後、ハノイのバディン広場に建設されたホー・チ・ミン廟(遺骨が永久保存されている) |
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レーニン像(ホー・チ・ミン廟の近くにあります) |
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昼食のレストラン  |
中庭のテーブル席 |
中庭の飾り  |
昔の大様が着けたお面 |
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チャーハンが 美味かった |
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