朝倉義景館跡の唐門
 
国道158号線沿いのP標識
 
町並立体復元地区 
 
下城戸から一乗谷川に沿って川の上流に向かうと、発掘調査の結果に基づいて当時の町並を立体的に復元されている。 
 
 
 
 
街並み立体復元地区の道路に面した町屋
 
朝倉館の向かいの武家屋敷跡に、約200mにわたって復原された町並み。ここでは、塀に囲まれた重臣の屋敷が山際に並び、計画的に造られた道路をはさんで、武家屋敷や庶民の町家が形成されていた様子がリアルに再現されている。発掘された塀の石垣や建物礎石をそのまま使い、柱や壁、建具なども出土した遺物に基づいて復原元されている。 
 
 
 
甲冑の展示 
 
磁器を並べた唐物商店の復元
 
当時の中央通りでしょうか?道路幅が6mほどあり両側に土塀を巡らしてある。 
 
復原武家屋敷 
東西30m、南北30mの敷地をもつ武家屋敷を復原。発掘では、土塀の2ヶ所に門を開き、中央に東西11.3m、南北7.5mの主屋が、東南隅に一間半四方の茶室、庭などが発見された。 
 
 復原された建物は、発掘遺構面に60cm土盛りし、当時の材料、工具、技術等を十分に検討して建てられた。
武家屋敷中庭の井戸
 
越前朝倉象棋

将棋は、王様がとられたら負けの将棋。しかしこの地には、王様がとられても負けない将棋があった。 今の将棋より駒が1つ多い、「酔象」という駒が出てきたのだ。
場所は王様の上に置く。そして酔象の動きは後退だけ出来ない。それが相手の敵地に入ると「太子」に成る。太子とは、皇太子、息子といった意味だ。息子「太子」に成ると王様と全く同じように動くことができる。そのため、王様がとられても太子がいる間は、その将棋は延々と続くというものだ。

では、なぜこのような将棋が必要だったのか。将棋という遊びの中にも戦国時代の生々しさが出ているのだ。戦国時代、お館様の首だけを捕って「勝ったぞ」と言っても、その後10年、15年もすれば、その敵はまた勢力を盛り返してくる。そうすると、また子と戦わなければならない。二度と同じ敵と戦わなくても済むように、孫、末代までとことん潰せという思想がこの将棋には入っているのだ。

 
朝倉氏「黄金の甲冑」 
 
厠  昔は扉がなかったのでしょうか?
 
台所 
 
 復元された武家屋敷街の通り
 
街並みの模型 
 
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一乗谷城をゆく
登城日   2014.04.14
一乗谷朝倉氏遺跡(いちじょうだに あさくらし いせき)は、福井県福井市城戸ノ内町にある戦国時代の遺跡である。
戦国時代に一乗谷城を中心に越前国を支配した戦国大名朝倉氏の遺跡。一乗谷城(山城)と山麓の城下町(朝倉氏および家臣の居館)からなる。 
 福井市の南東約13kmに位置する一乗谷。かつて、戦国大名・朝倉氏の本拠地であった地で、朝倉義景館跡、武家屋敷、寺院、町屋、庭園など戦国時代の町並みがほぼ完全な姿で発掘、復元された遺跡。国の特別史跡と特別名勝に指定されている。