明石城をゆく

明石城は、明石海峡近くまで迫った丘陵地帯に築かれた平山城である。
大阪夏の陣で戦功を讃え1617年(元和3)に信州松本から明石12万石を賜った小笠原忠真(たださね)は初め船上城に入った。
しかし交通の要所として、幕府の命令で姫路城主・本多忠政の監督で築城され、1620年(元和6)年に一応の完成となった。
資材は一国一城令で廃城になった周辺の三木・高砂・船上・枝吉城などから運ばせた。
今も残る巽櫓は、船上城の遺構で、坤櫓伏見城の遺構だと伝わっている。天守台はあるが、本丸に天主閣は造られず、城の四隅に三重の櫓が置かれた。
穴太積み(あのうづみなる技法を使った石垣が扇の勾配とも言われる美しい反りを持っているのが特徴でこの城の魅力である。
城主小笠原氏の後、戸田・大久保・松平・本多・松平氏等の様々な譜代大名が入城し、明治維新をむかえる。維新後は、公園となり一部の櫓や土塀が取り壊される一方で、巽櫓、坤櫓は大規模な補強工事を実施。その甲斐あって 阪神大震災で大きな被害を受けた時、石垣は崩れたが、2つの櫓(巽櫓、坤櫓)は壊れることなく存続した。もちろん、石垣はその後復旧されている。
明石城(向かって左は坤櫓・右は巽櫓)

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