通 路・階 段
千畳敷下の通路は、土塁状遺構の東側を通り、クランク状の平面形をもった入口部分、虎口(こぐち)を構成する。
西方から入り北へ折れて緩やかに上った後、再び東へ折れる。曲輪の前面に張り出してこのような形を設ける例は安土城にも見られる。これに先行する初期のものと思われる。この先は川原石と山石を混用した三段の階段となり、水路西側の小さな平地へと至る。道路の側面には巨石列を配し、この上に盛り上げをしている。その形状は江戸時代に流行する「腰巻石垣」に似ているがこれとは関連性のない古段階のものであろう。根固めの配石法など東側の水路南岸の石垣と共通するところがあり、本来二段以上に積んだ高い石垣であった可能性もあるが、発掘調査当時の状態に近い形で復元されている。
尚、通路の砂利敷き・石畳は遺構面の保護のために被覆したもので、本来の通路面よりやや高くなっている。また、階段周辺は後世の破壊をかなり受けており、階段の位置や周囲の状況から推定復元されたものである。