人柱「およし」の碑
この八幡城は、遠藤盛数によって築城されたが、幾多の合戦によつて石垣が崩れ落ち修理を加えなければならなかつたが、急斜面の工事は困難を極めた。
この時、神路村(現大和町神路)の百姓吉兵衛の美しい一人娘「およし」は進んで石運びにも加わり、人々に勇気を与えた上、遂に自分の身を捧げてこの城を守ろうと心を定め「人柱」となつて地中に入った。
「およし」はそのとき数え17歳であつたと伝えられている。美しい乙女の魂が城を永久に守り抜いたという悲しくも、美しい伝えを人々は忘れず現在もおまつりを続けている。