東殿山城址の眺望
前方の高木の茂った高い峯は東殿山で東側の頂上が城址である。
1542年(天分11)頃東常慶(東氏13代目)によって築かれた城で東西南北約30mの四辺形をなし断崖と急斜面の天然の要害である。
現在西側には四段に分かれて周囲に石垣が残されている。1559年(永禄2)8月の合戦で八幡山に陣を構えた遠藤盛数の軍勢1千騎に愛宕山方面から攻められ、たてこもった常慶軍は10日間の死闘の末ついに落城し滅ぼされた。この激闘で追い詰められた城兵が断崖からころげ落ちて死んでいつた東側を今も地獄谷と呼んでいる。
又、東殿山の西側の頂上は赤谷山城址で1409年(応永)に東益之(東9代目)が築城し約130年間東氏の居城となつたものである。
現在はその面影もなく南側の低地を御馬屋敷と呼んでいるのが当時を偲ぶ唯一のものである。