八幡山城をゆく
1585年(天正13)、羽柴秀次は叔父秀吉から近江国内20万石の領地を与えられ、本拠地として、八幡山に八幡山城を築いた。
標高271.9mの山頂部に本丸を設け、二の丸、西の丸、北の丸、出丸が配置された一大要塞であつた。
城内に残された石垣群は、安土城とほぼ同時期に完成した遺構として貴重な存在であるが、保存状態はあまりよくない。
山頂の本丸跡には、秀次の母「とも」(日秀尼)が非業の死をとげた子の菩提を弔うために洛中に建立した「村雲御所瑞龍寺」が移築されている。
山門の周辺は、枡形の虎口となつており、周囲には秀次時代の石垣が残っている。
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