彦根城をゆく

琵琶湖の東岸に接した彦根山(海抜136m)に築かれた平山城である。
山麓に居館を置き、山上に曲輪を配置するという縄張りから、山城に分類見方もある。
1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いに武功のあった井伊直政が石田三成の旧しろであつた佐和山城に入城する。
直政の没後、世子の直継が佐和山西方の彦根山に築城したのが、現在の彦根城である。
彦根城は西国諸大名の抑えとしての重要拠点であるため、築城にあたつては徳川家康が近隣大名に助力を命じ、佐和山城、安土城等琵琶湖周辺の旧城の石垣や建物が集められ、急ピッチで築城が進められた。
その後、大坂の陣により工事が中断したが、直継の弟で藩主を継いだ直孝が城郭及び城下町の整備をつづけ、完成までに約20年を要した。
彦根城の北は松原内湖(現在は埋め立てられている)、西は琵琶湖に面し、主郭である彦根山を取りまくように内堀、中堀、外堀がめぐらされ、堀と堀の間に武家屋敷、町家を配置するという総構えの縄張りであった。
井伊家は、江戸時代を通じて彦根藩主であり、
彦根城は一度も戦禍に遭うことなく明治を迎えた。
明治初年の廃城の危機を免れて、現在に残る遺構は、天守(国宝)や西の丸三重櫓・太鼓門・天秤櫓・二の丸佐和口多聞櫓(いずれも重文)等数多い。
彦根城跡は国の特別史跡、藩主の庭園「玄宮楽々園」(げんきゅうらくらくえん)は国の名勝に指定されている。
彦根城の天守はいくつもの屋根様式を巧みに組み合わせた美しい曲線の調和をみせ、どっしりとした牛蒡積と呼ばれる石垣の上に三層三重の天守がそびえている。
京極高次が築いた大津城から移築されたといわれ、1606年(慶長11)に完成した。
昭和27年に国宝に指定され、姫路城、松本城、犬山城とともに国宝四城の一つである。
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