楽々園の地震の間
槻御殿(けやきごてん)の大書院の奥に建てられた御茶座敷である。建物全体が一枚の大岩盤の上に乗り、土台を舟底形にして、地震の揺れに逆らわないようにしてある。
また、建物上部の重量を減らすために、屋根は柿葺(こけらぶ)き、天井は竹の簾の子の釣天井にしている。
江戸後期に建てられた原建築が1955年(昭和30)に焼失したために、忠実に復元された。