楽々園槻御殿(けやきごてん)
第4代藩主井伊直興が1677年(延宝5)に着手し、1679年に完成したもので、下屋敷として築造され、木材はすべて槻(ケヤキ)でその華麗さは各大名も驚嘆したものである。
大老井伊直弼は、1815年(文化12)10月29日ここで生まれた。
これらの建物は数棟の東屋よりなり、今日に至るまでしばしば修理が加えられたが、往時の面影をとどめている。
第12代藩主井伊直亮(なおあき)が1804年〜11817年(文化年間)に楽々之間を増築しいて以来、槻御殿という正式の名よりはむしろ楽々園の名のほうが有名になつた。
楽々園の名は、「仁者は山を楽しみ、智者は水を楽しむ」の意からとったともいわれ、民の楽を楽しむという仁政の意をもっているともいわれている。