姫路城をゆく
西の丸への入口 |
カの櫓 |
ワの櫓 |
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ヲの櫓 |
ルの櫓 |
ヌの櫓 |
化粧櫓  |
西の丸の土塀 |
西の丸庭園 |
西の丸北門跡 |
北門の土塀 |
西の丸長局の入口 |
百間廊下 |
百間廊下 |
雨水抜き |
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石落とし |
櫓の階段 |
天主閣から西の丸を望む |
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西の丸の化粧櫓は千姫の居室である。1616年(元和2)9月、伊勢桑名の城主本多忠政の嫡男の忠刻(ただとき)に輿入れした千姫へ、父の徳川秀忠(2代将軍)から持参金として化粧料10万石が贈られ、伊勢桑名城から姫路城に移ったときに建てられた。
忠刻の父で、城主の本多忠政が5万石を加増されて15万石で姫路に国替えとなつたのを考えれば、10万石はいかに破格の待遇であつたかが判る。
忠政は化粧料で、化粧櫓と300mにおよぶ渡り櫓、付け櫓を増築した。
化粧櫓内の千姫の居室は、18畳・15畳・6畳の3間。壁面には黒漆塗りの枠をかけた窓があり、天井には杉の柾目板が張られ、女性の部屋らしい瀟洒なしつらえである。
化粧櫓にあった千姫は御姫様とよばれ、勝姫は小姫様ともよばれていた。千姫には23人の侍女と16人の下女がかしづき、勝姫(のちに池田光政に嫁ぐ)にも3人の侍女がついていた。
美男で知られ、宮本武蔵の教えをうけ、文武に優れた本田忠刻との幸せな日々をこの櫓ですごした千姫だが、やがて嫡男幸千代(こうちよ)を、1626年(寛永3)4月に忠刻が亡くなり千姫は江戸に帰り落飾(らくしょく)して天樹院(てんじゅいん)と号し、70歳までの一生を閉じた。
勝姫と貝合わせを楽しむ千姫
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