備前丸
この広場は、天守を築いた池田輝政の居館があったところです。
備前丸とよばれるのは、輝政の次男忠継が備前国を与えられたのが幼少であったので、ここに住んでいたためといわれています。
東北隅の入口備前門の内側に御台所・御対面所・上台所・回家のほか、二層櫓4棟・折廻櫓・長局などが建ち並び、西方にあった渡櫓から水四門を経て天守へ出入りしていたと思われます。
これらの建物は、明治13年の失火で焼失し、備前門と折廻櫓だけが昔の名残をとどめています。