お菊井
1500年(永正年間)頃、城主小寺則職(のりもと)の執権青山鉄山が主家横領を企てているのを、忠臣衣笠元信の妾(いいなずけ)で、青山家に住込みでいたお菊が察知し、元信に知らせて難を救いました。
しかし鉄山は浦上村宗等の加勢によって則職を追放し一時主家を横領しました。
村宗等を招いた饗宴の際、お菊を恋慕していた町坪弾四郎は家宝の十枚揃いの皿の一枚を隠し、お菊を責めて殺し井戸に投げ込みました。
その後、毎夜この井戸から皿を数えるお菊の声が聞こえたということです。
やがて、元信らが鉄山一味を滅ぼし、お菊は「於菊大明神」として十二所神社の境内に祀られました。