伊賀上野城をゆく
「忍者の里」と呼ばれる伊賀国の『上野城』は三重県中西部の上野盆地北部の台地に築かれた平山城である。
大天守(右)と小天守(左)
現天守は高虎の天守台の半分を使い、3重大天守と2重の小天守が並ぶ。
高虎は5重の天守と付櫓を計画していたと言われる。
小天守の中には、深さ50間(約90m)の忍び井戸がある。
織田信雄(のぶかつ)(信長の次男)による伊賀平定後、家臣の滝川雄利が築城を開始する。
1585年(天正13)大和郡山から移った筒井定次が、3重の天守、本丸を築く。
関ヶ原の戦い後、定次は領地を没収され、1608年(慶長13)、藤堂高虎が徳川家康の命で、伊賀一国、伊勢中部を合わせた20万石余りで入封した。
伊予から入封した高虎は「津は平城なり。当座の休息所までと思うべし。伊賀は秘蔵の国、
上野は要害の地、根拠とすべし」と家康からの秘命を受け大改修を開始した。
本丸内堀の石垣は高さ30m余りの高石垣で囲み5重の大天守を築いたが、竣工直前の
1612年(慶長17)9月2日、暴風雨のため天守閣が倒壊、そのうち大坂夏の陣で豊臣方が滅亡し、再建されることはなかった。
現在の天守は、1935年(昭和10)建築の木造の復興天守である。
城址は国史跡指定
 
上野城は、天守の優美な姿が紺緑の上に羽を休める鳳凰に似ているとして、白鳳凰城の雅号がある。

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