松平家統治期
には
天守がなく
、今治城に天守があったのか、論議になっていた。しかし、藤堂ヶの家譜
『宗国史』
に、
「城中に五層の高楼を建て、府中に5街を開く」
とあり、また1610年(慶長15)に
「公(高虎)」は今治城天守楼を献じ、亀山にこれを建立したもた」
と記されていることなどから、
丹波亀山城
は、
今治城から移築
したものと確認された。
亀山城の古写真などを参考にしつつ、破風をつけた5層6階の望楼型天守が1980年(昭和55)に復興された。
天守のシルエット
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今治城をゆく