松本城をゆく
天守からみた埋橋(うずみのはし)
もともとは堀の中に塀を築き、敵の移動を妨げる足駄塀(あしだべい)があったことが知られているが、構造が詳らかでないため、1955年(昭和30)に朱塗り八つ橋型の現在の橋が架けられた。
埋橋の名前は埋門に架かる橋のために名付けられた。
松本城の堀の水は、河川からではなく湧水であった。
天守から本丸御殿跡を望む
天守には55鉄砲狭間と62の矢狭間が設けられている。正方形に近いものが鉄砲狭間で、矢狭間は長方形。本丸御殿は1727年(享保12)に焼失して以来再建されず、政庁は二の丸御殿に移された。