松坂城をゆく

 
松坂城の旅はここで終わりです。
阪市では、平成14年に松坂城石垣修復事業として、裏門と本居宣長記念館の間にある「隠居丸」と呼ばれる部分の石垣南半分を修復しました。
その石垣の取り外し作業の途中で、石垣の一番下の基底石付近で、江戸時代の石垣修理の跡が見つかりました。
の隠居丸付近は、地盤が脆弱なのか石垣の孕みが激しく、今回の修復となつたのですが、松坂城から本居宣長ノ宮にかけての場所は、丘陵としてはやせた場所といえます。
そのため、今回の修復の石垣の地盤は、比較的弱い盛土のようで、地盤がゆるく基礎石付近の石が最大0.5mほど外に飛び出していました。
れらの石を応急的に抑える石(捨石)が今回発見されたものと思われます。
石垣修復については、隠居丸付近の記録もあり、それらの修復に伴うものと推定されます。
石垣を抑える石は、現況の表土から約0.2メートル下から見つかり、板状の石の組合せで捨石が置かれ見つかりました。この捨石状遺構の幅は0.8mから1.0m、長さ約19mほどで、石垣が孕んだ部分にのみ見られました。
捨石状遺構の例については、三重県下では現在のところ確認されていない珍しいものです。
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