水口岡山城をゆく
水口岡山城城址 阿迦之宮
山頂付近に残る石垣跡 山頂付近に残る石垣跡
石仏 石仏
滋賀県のお城へ
眼下に野洲川を見下ろし、鈴鹿の山並みを眺望する大岡山は、低山ながらその特徴的な山容で、多くの人々の親しまれてきた。
古くは行基が開いたとされる大岡寺も、その山内に大伽藍を構えていたとされる。
1585年(天正13)、天下統一半ばにあった羽柴秀吉は、近江東南部一帯を見渡すことが出来るこの山に、天守閣を備えた山城を中村一氏に命じ築かせた。城は関ヶ原の合戦ににより、僅か三代15年で落城したが、この間水口は城下町として道などが整備され、その後の発展の基礎が築かれた。
江戸時代に、この山は「古城山」(しろやま)と呼ばれるようになり、水口藩の御林山となつた。
享保年間には、大岡寺の寂堂法印が、地頭に移転させられていた諸堂を山麓に復興し、山頂に奥の院として小祠を祀った。これが阿迦之宮の起こりで、原祠は昭和41年に再建されたものである。
その後、阿迦之宮は古城山の守り神、水口町全町民の守り神として、あわせて、悲運の城主長束正家(三代城主)の霊を祀るようになった。
現在山頂付近には当時を偲ぶ石垣跡が見られる。また「展望広場」・「リフレッシュの園」・「お祭り広場」・「こどもの国」と各ゾーンが設置されて市民の憩いの場所になつている。