宮部城をゆく

戦国時代、湯次(ゆすぎ)神社社僧宮部継潤(けいじゅん)が、寺を要塞化して浅井長政の家臣となった。
しかし、継潤は、1571年(元亀2)、横山城の木下藤吉郎に勧められて織田方に転じた。信長は小谷城攻めのために宮部城を改修し、宮部から虎御前山に軍道を開いたと伝えられる。
継潤は秀吉に従って転戦していたが、1581年(天正9)、秀吉の因幡鳥取城攻めで手柄を立て、鳥取城に移ることになり、宮部城は廃城とされた。跡地は現在宮部神社となっている。
宮部神社にある宮部城址碑

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