天守台跡
江戸時代の絵図によれば、本丸には南北10間(約18m)・東西12間(約22m)の天守があった。
昭和初期編纂(へんさん)の「東浅井郡志」は、「秀吉が小谷城の鐘丸(かねまる)を移して3層の天守を築いた」という伝承を記している。
天守台跡は、現天守から約50m北西の秀吉像が立つ小山のあたりにあった。発掘調査で北側から60mにわたる石垣が出土している。現在の石垣は、一部出土した意志も用いて積みなおしたものである。