この鐘楼があつた場所は、江戸時代の小田原城の大手門があつたところです。大手門を入ると西側一帯は三の丸となり、道の西側に小田原藩の家老級の屋敷が並んでいました。 大手門は以前は箱根口付近にありましたが、稲葉氏が城主であつた1633年(寛永10)に、三代将軍徳川家光が京都に上るのに備えて、江戸に向く現在地に移し、大手門前までの道は将軍家が小田原城に入るための、御成道として整備され、東の入口であつた江戸見附も、国道1号線沿いの現在の位置に移されました。 大手門の造りを元禄時代ごろの絵画で見ると、三の丸の堀に架かる土橋を渡ると、外からの攻撃や敵の侵入を防ぐための、馬出と呼ばれる空間があり、東には冠木門と呼ばれる門から、枡形と呼ばれる四角い空間に入ります。この枡形は、櫓門や石垣、塀で囲われており、厳重で、立派な門でありました。 |
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