北条早雲像
北条早雲のことを歴史学者は「伊勢宗瑞(いせそうずい)等と呼ぶ。早雲はもともと伊勢の出身であり、死ぬまで「北条」と名乗ったことはないからだ。
では、なぜ今は「北条」と呼ぶかといえば、息子の氏綱から北条姓を名乗り、駿河、伊豆、相模、上総、下総、武蔵の六ヶ国つまり、静岡・神奈川・東京・埼玉・千葉の各都県にまたがる大々名に発展したからだ。
その北条五代の始祖として祭り上げられるようになつてから、彼のことを北条姓で呼ぶのが習慣化した。
北条氏と言えば、代々鎌倉幕府の執権を務め、元寇(げんこう)「蒙古来襲」のときに見事元軍を撃退した「北条時宗」等を輩出した一族が有名であるが、実は「早雲の北条」は、この家系とは何の関係もない。