太田城をゆく
太田城は、古く延徳年間(1489〜92年)に、紀俊連(きのとしつら)が築いた。また、文明年間(1469〜87年)という説もある。
1576年(天正4)、その地に太田源三大夫が新たに築きなおした。
1585年(天正13)、羽柴(豊臣)秀吉が6万ともいう兵で紀伊に侵攻し、根来寺を焼き払い、太田城を包囲し持久戦法をとり、城の周囲に堤を築いた。
大門川(宮井川)の水を塞き止めて水攻めを行い城は約1ヶ月もちこたえたが、城兵に疲れがではじめ、城将らが自刃して落城したという。
本丸跡とされている市内来迎寺の境内に城址碑が立っている。
城門は市内橋向丁の大立寺の山門として移されている。
来迎寺門
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