松平城をゆく
300年もの間国を治めた徳川家のルーツ、松平家の歴史に触れることができる松平郷。
市街から東に離れた山村に位置し、現在でも当時のおもむきを残す、自然に囲まれた土地。松平家の菩提寺・高月院、家康を祭った松平東照宮、松平家と徳川家ゆかりの品々が展示されている松平郷館などがある。
遊歩道も整備されており、歴史を感じながらゆっくり史跡巡り。初夏には花菖蒲園で、美しい菖蒲の花を楽しむ事もできる。2月の上旬には「天下祭(てんかさい)」、4月には「松平春祭り」が行われる。
松平家 の邸跡は面積323平方メートルあり、入り口には遺跡碑がある。
松平東照宮

松平親氏を祭り、さらに松平郷松平家が大正時代まで在住した。境内には徳川家康産湯の井戸跡や松平家の屋敷跡などの史跡がある。
近隣には松平家の菩提寺である高月院や松平城址などの史跡が散在している。

徳川家康産湯の井戸
冠木門
松平氏遺跡碑(高月院)
高月院山門
浄土宗本松山高月院は,寺伝によると1367年(貞治6),松平郷主であった松平太郎左衛門在原信重(のぶしげ)の庇護(ひご)を受けて創建された。在原信重の娘婿親氏(ちかうじ:松平氏始祖)が寛立上人に深く帰依し,本尊阿弥陀如来をはじめ堂塔すべてを寄進して,寺名を現在の高月院と改め,松平氏の菩提寺(ぼだいじ)としたと伝えられている。
本堂への階段と門
高月院本堂
1602年(慶長7),徳川家康は寺領百石を寄進し厚遇している。1641年(寛永18)には三代将軍家光により本堂が再建されたとされる。高月院の住職は将軍の命で選任され,十万石待遇により東海道を籠で往復,人足8人,馬5匹の使役を許されていた。このように高月院は,江戸幕府・歴代将軍により将軍家先祖の菩提所として手厚く保護が加えられていた。
仏足石(お釈迦様の足跡)
松平氏祖先の墓所
松平氏祖先の墓所
徳川家康(松平氏九代)の祖先である松平氏の初代親氏(ちかうじ)(中央)・二代泰親(やすちか)(右側)・四代親忠(ちかただ)夫人ゅ左側)の墓所です。墓塔は三基とも宝篋院塔(ほうきょいんとう)で室町時代中葉から後葉のものと思われますが、いずれも一部が欠失しています。四代親忠夫人のの墓があるのは、親忠の第四子超誉存牛上人(ちょうよぞんぎゅうしょうにん)(高月院第七代住職、1575年入山)が母を祖先墳墓の地に葬ったものです。墓域は50uあり、文政年間に11代将軍徳川家斉、明治23年旧大和郡山藩主柳沢保申(やすもと)がそれぞれ修築して現在に至っている。(
十三重塔
徳川家康公お手植えの桜
夕陽に輝く高月院山門
高月院遠景
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