下坂氏館をゆく

下坂氏館(しもさかしやかた)は室町時代において長浜南西部に勢力を伸張した下坂氏の城館である。下坂氏は南北朝の争乱期に足利氏側の武将として活躍しており、代々下坂庄の地頭職を任ぜられていた。
城館の規模は、東西約89m・南北87mの範囲において高さ1mから2m・幅約5mから約7mの2重の土塁で囲み、幅約5mから約13m・深さ1mから約3mの堀が現存している。
主郭東西55m・南北42mの内側土塁よって囲まれ、その北東側と南西側には2つの副郭が構築されており、南西側の副郭は一段と高くなっており、武者だまりと考えられる。
内側土塁の東側には土塁を切る形で高さ約2m・幅約7mの虎口が開口し、東側の東西約75m・南北約45mの規模を持つ腰郭へとのびている。この遺構からみて北近江屈指の平地城館遺構といえる。
下坂氏は戦国時代には京極氏に属し、その後浅井氏に仕えたが、浅井氏滅亡後に帰農、江戸時代に彦根藩御典医を出した。
現在も子孫は当地で病院を開業しており、内部には立ち入れない。
江戸時代の茅葺きの門母屋が主郭の中央にあり、竹藪や林の中に土塁と堀が残されている。
茅葺の門
母  屋

滋賀県のお城へ