園部城をゆく
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1619年(元和5)但馬の出石から移封となった初代園部藩小出吉親公は、役2年間を費やして園部陣屋を築いた。
園部盆地の小麦山東側台地上にあり、小麦山を取り囲む外堀や、内堀・中堀も設けられて、陣屋とはいえ城の様相を呈していた。
戊辰戦争のさなか最後の園部藩主(第10代)小出英尚公は明治新政府から園部陣屋をより堅固な園部城として整備する許可を受け、1868年(明治元年)〜1869年にかけて櫓門・巽櫓の他小麦山山頂に3層の櫓などを築いた。
しかし、新たな時代の潮流の中そのほとんどが取り壊され今は残った巽櫓などが往時を偲ばせる。激動の中に再整備されるという例のない歴史をもつ園部城も、現在はその跡地に園部公園や府立園部高等学校が設置され、憩いの場、教育の場として住民から親しまれている。
巽  櫓