高松城をゆく
旭門
桜御門跡
桜御門は、昭和20年の高松空襲により焼失しました。現在は石垣が残っていますが、石垣や礎石にはいまでも焼けた跡が見られる。
桜の馬場
馬を教練したところで、かっては今の2倍ほどの広があった。今も桜の木が沢山植えられており、春には花見を楽しむ人々で賑わう。
西の入口門
JR高松駅・高松港からすぐ近くにある西側の入口
水門
この高松城は、北は海、三方に濠(堀)をめぐらし海水を引入れた日本三大水城の一つとして名高く、完全に海水を掘りに取り入れた城は、この高松城だけである。
築城当時は外堀・中堀・内堀を有し66万u(約20万坪)という広大な城域を誇り、堀には海水を満々と湛えて美しい姿を水面に映していましたが、明治初期に中堀の一部と外堀は埋められ、広さも9分の1ほどになった。
この堀の海水は、城の北側を通っている国道30号線の下をくぐって瀬戸内海と繋がっているため、今日でも内堀・中堀の水位は潮の干満によって変わっている。
昔はどのような水位調整をしていか明らかでありませんが、海から稚魚(タイ・スズキ等)がこの潮にのって水門の網から城に入り、成長した魚が堀で泳いでいるのがみられます。
二の丸跡
竜櫓跡
鞘橋(さやばし)
本丸と二の丸を結んでいる唯一の連絡橋で、当初は欄干橋ともいわれる。本丸は周囲がすべて水掘だったため、この橋を切り落とすと、本丸は浮城となる。。江戸時代中期末頃にはこのような屋根付きの橋になっていたようです。
鞘橋の正面
鹿櫓跡
北の丸跡
矩櫓跡(かねのやぐら)
廉櫓跡(れんやぐら)
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