多門城をゆく
多門城跡から望む東大寺大仏殿と若草山
1567年(永禄10)10月10日、筒井順慶と連携して東大寺に陣どる三好三人衆に松永久秀の軍が攻撃、兵火は大仏殿回廊に移り、午前2時ごろ大仏殿も焼亡した。
いにしへの奈良の都の八重桜
けふ九重ににほひぬるかな
伊勢大輔 (いせのたいふ)
大和は「国のまほろば」「うるわしの都」と美称で呼ばれて、現在でも通用する。
「まほろば」とは、「すぐれた良い所」の意味
奈良を代表する東大寺大仏殿は、奈良時代聖武天皇発願による国家的プロジェクトとして創建された。
高さ15mの盧舎那仏(るしゃなぶつ)は世界最大の金銅仏(国宝)。
平安末期、平重衡(しげひら)に焼かれ、戦国時代には、松永久秀の兵火で全焼した。
奈良の象徴で世界文化遺産に指定されている。
南 大 門
大 仏 殿 全 景
東大寺は、奈良時代の中頃に聖武天皇の発願によって創建された。
大和の国分寺として建てられたが、盧舎那大仏(るしゅなだいぶつ)が本尊とされたために、大規模な伽藍が営まれた。
天下泰平・万民豊楽などを祈願する道場と教理研究を兼ねる寺で、多くの学僧を輩出した。
開山は良弁(ろうべん)僧正。
現在は華厳宗の大本山である。
本尊の盧舎那仏は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)とも呼ばれ、華厳経の教主とされるが、この名は釈迦如来の別名で、世界を照らす仏・光り輝く仏の意味である。
像は青銅で鋳造され鍍金が施されていた。
天平勝宝四年(752)に盛大な開眼供養が行われた。その後度々損傷を蒙り、その都度修理されている。両手は桃山時代、頭部は江戸時代のもの、大仏殿は創建以来、治承四年(1180)と永禄十年(1567)に兵火に罹っていて、今の建物は江戸時代直された三度目のものである。
横幅が約三分の二に縮小されているが、それでも木造建造物としては世界一の規模を誇っている。