椿井城をゆく
椿井城(つばいじょう)は、信貴山城に対峙するように築かれた山城で、南北300mある。
山裾は椿井氏の本拠であったが、平群谷北西から勢力を広げた島氏が、戦国時代後半にこれを破って領有した。
築城時期は不明だが、筒井氏家老の当主左近の代に整備が進んだと思われる。
1585年(天正13)、筒井氏が伊賀に移封すると島氏も従うが、まもなく伊賀を退去し、石田三成に1万5千石で迎えられた。
現在も山頂付近には、曲輪や土塁・空堀・楼台等が残っているが、山頂に登る道が整備されていなく、雑草、倒木で残念ながら山頂に上ることは出来なかった。
椿井城址遠望
山頂に登る山道
椿井井戸

今も清水が湧出する古井戸で、聖徳太子と平群神手将軍の逸話が伝えられている。
物部守屋を征伐する際に苦戦し、神手将軍が領地のこの地に椿の杖を突き立て、戦勝を祈願された。(平群氏の祖先を祀る春日神社を参拝した時ともいわれる)
すると一夜にして杖が芽を吹いて葉が繁り、傍から冷泉が湧き出し、汲めども尽きなかった。
これは、戦いへの瑞祥であると大いに喜ばれ、太子と共に飲まれた。
兵士達にも振舞ったところ士気が大いに上がり、守屋戦に大勝することが出来たという。
以来、「椿井」と称して大切にされ、地名の興りとなっている。
場所は、椿井城への登り道にある。
奈良県のお城へ