津城をゆく
伊勢湾に面した伊勢平野の中央部に築かれた平城。
織田信長の伊勢攻略の一環で、弟信包(のぶかね)が安濃川・岩田川の三角州に、1571年(元亀2)ごろから築城を開始した。
当時は安濃津城と称していた。
富田知信(とものぶ)が城主の時、関ヶ原の戦いで西軍の攻撃を受け、籠城戦を展開した。
1609年(慶長14)、藤堂高虎が伊賀上野城に続いて入城する。
高虎は、城の拡張・改修・改築を行い、外堀・内堀をめぐらした城郭を完成させ、天守に代わって本丸・北の丑寅・戌亥の三重櫓を設け、城下町を再編して繁栄の基礎を築き、津城と呼ばれた。
津藩藤堂家は11代続き明治を迎えるが、建物は解体された。
現在の、城跡は本丸・西の丸・石垣・内堀の一部を残しお城公園となつている。

 
三重隅櫓
お城公園として整備された本丸より東出口に、1958年(昭和33)、
3重の隅櫓が建てられた。かつては東黒門・東鉄門があった。
藤堂高虎の銅像
近江出身。浅井長政・織田信澄・羽柴秀長・豊臣秀吉等7度主君を変えた。
関ヶ原の戦いでは徳川家康に協力する。
津藩主藤堂家初代として藩政の基礎を作ると共に築城の名人として知られる。
銅像は本丸にある噴水の近くにあり馬上像が凛々しい。
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