写真をクリックすると大きくなります
宇陀松山城をゆく
 南北朝時代宇陀町は秋山氏の領地で、秋山城を居城としたが、1585年(天正13)豊臣秀長の大和入りで、秋山氏は追放され、豊臣家配下の大名が領した。
1600年(慶長5年)に入封した福島高晴のとき、城下町の名を松山と改めた。
1615年(元和1)、福島氏が改易となって城も破却され、その後には織田信雄が入り、麓近くに居城を構えた。
現在、山頂付近に曲輪や空堀石垣などが残されているが、城に登る道が整備されていなく残念ながらその姿を確認することは出来なかった。

上の写真は大手筋の「西口関門」で、現在は春日神社近くに保存されている。
松山西口関門

 
宇陀松山城が築かれていた城山の遠景
写真をクリックすると大きくなります
奈良県のお城へ