和歌山城をゆく

大手門(一の橋御門)
岡口門 (重文)
追廻門(おいまわしもん) 
鶴の門
浅野時代の後期に大手を城の東から北に変更し、当初は一の橋門と呼ばれた。
1796年(寛政8)に大手門と改称する。
1909年(明治42)に自然倒壊し、1982年(昭和52)に復元された。
城の南東に位置する。江戸時代の遺構。
浅野時代の後期に大手門から搦手門(からめてもん)として修復された。
北につづく土塀も残っている。櫓門だが、左右にあった櫓・御蔵が明治初年に取り壊されいる。
現存する江戸時代の門は、この岡口門と西側の追廻門(おいまわしもん)の二つだけである。
城の西側に位置する。
追廻門は、高麗門形式で門外扇の芝に操錬所があり、騎射の稽古のための追廻馬場があったので追廻門と称するようになったという。
創建は1629年(寛永6)と伝えられ当時から朱が塗られていた。
 
城の西北に位置する。
砂の丸と西の丸庭園に通じる入口にあたる。
先代浅野公はこの付近で鶴を飼育していたのでこの名前が付いた。
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