高石垣
この高石垣は、1625年(寛永2)に築造されたもので、高さ23.4m(13間)あり、城中石垣のうち最高である。
当時の藩祖徳川頼宣公は南の丸から西濠までの石畳築造の大工事を起こしたので幕府の嫌疑を受けたが、家老安藤直次が幕府に対しその修築の必要性を力説し了承された。
しかし、当の普請奉行久野宗成(くのむねなり)は、参府の途上三州地鯉鮒(ちりふ)愛知県知立)において工事完成の報を受けたので、工事一切の責任を帯び病死したと伝えられる。
ときに、寛永2年11月29日宗成44歳であった。