山中城をゆく

史跡山中城は、箱根山中580mに位置する。小田原に本城を置いた後北条氏が、1560年代(永禄年間)に小田原城防備のために創築したものである。
やがて1589年(天正17)豊臣秀吉の小田原攻めにそなえて、急ぎ西の丸や出丸等の増築が始まり、1590年3月29日豊臣軍7万の兵に包囲され、城方は城主松田康長以下4千人で迎え打つがわずか半日で落城したと伝えられる悲劇の山城である。
この時代の北条方の城主松田康長・副将間宮康俊の墓は今も三ノ丸跡の宗閑寺境内に苔むしている。
三島市では、史跡山中氏の公園化を企画し、昭和48年度よりすべての曲輪(くるわ)の前面発掘にふみきり、その学術資料に基づいて、環境整備に着手した。
その結果、戦国末期の北条流の築城法が次第に解明され、山城の規模・構造が明らかになった。
特に堀や土塁の構造法、尾根を区切る曲輪の構造法、架橋や土橋の配置、曲輪相互間の連絡道路等の自然の地形を巧みに取り入れた縄張りの妙味と、空堀・水堀・用水池・井戸等に意を注いだことや、石を使わない山城の最後の姿をとどめている点等、学術的にも貴重な資料を提供している城である。
障子掘
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