田尻の池
東側の箱井戸と田尻の池とは、一面の湿地帯であったが、山中城築城時盛土(土塁)によって区切られたものである。
山城では、水を貯える施設が城の生命であるところから、この池も貴重な溜池の一つであったと考える。
しかも、西側は「馬舎」と伝承されているところからこの池は馬の飲料水・その他に用いられていたものと推定される。
築城時の池の面積は約148平方メートルあり、あふれた水は三の丸堀に流れ出たていたようである。。