近撮_2005.12
このページには最近作を月ごとに撮影順に区分なしで掲示し、
掲載後に順次、「風景」「行事・祭」「花ごよみ」「桜」「鹿」などに区分して掲示します。
(取り急ぎにつき、ラージサイズにならないもの、コメントの無いものもありますが順次追加します)
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おん祭_春日大社




[後宴能・敦盛]
おん祭では17日に仮屋で御旅所祭が行われ、種々の伝統芸能が奉納されますが、若宮が本宮へお帰りになった(還幸の儀)翌日、仮宮の前の舞台では後宴能が催されます。還幸の後であり、お仮屋を背に能や狂言が行われます。今年の能は「敦盛」。寒風の中、冬陽を受けながらの能もまた違った趣があります。
(2005.12.18)(奈良市)


[奉納相撲の力士・おん祭]
おん祭の後宴能の日、保存会の方の相撲甚句や、中学生から大人までの奉納相撲が行われます。遠い昔は力士が真剣な勝負をしたようですが、中世には儀式化されたものだったそうです。現在は県下や京都から参加の中学、高校、大人による試合になっています。
(2005.12.18)(奈良市)


[御湯たて・おん祭]
春日大社摂社若宮神社の例祭、おん祭の無事執行を祈願して行われる大宿所祭の前に参勤者を清める御湯立(みゆたて)神事。勤められる巫女は特別な一族だけに伝承されているそうです。唱詞(となえことば)を奏上しながらたぎる湯釜から笹で湯を振りまかれます。湯立巫女の腰に巻くわらの帯は“サンバイコ”と言い安産の霊験あらたかなりとのこと。(2005.12.15)(奈良市)

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亥の子あばれ祭り


[亥の子あばれ祭り1]
桜井市の山里、高田地区に伝わる亥の子あばれ祭り。亥の子信仰は、田の神は収穫が終わると山へ戻って山の神となるとされ、全国各地にも伝わっていますが、多くは石を大地に打ちつけるなど、ですが、当地、高田の亥の子あばれ祭りはちょっと変わっており、子供達が、お仮屋をつぶして供え物を奪い合ったり、お膳を蹴散らしたりと大暴れします。昔は頭屋さんの屋敷で行っていたそうですが、最近は特設の舞台で行われています。県指定無形民族文化財。
(2005.12.4)(桜井市)


[亥の子あばれ祭り2]
夜になると、神棚の燈明を消しにかかります。おとながそれを阻止し、何度も点火しますが、わらを投げてそのじゃまをします。暗い中でなんどもなんども繰り返し行われます。
(2005.12.4)(桜井市)


[亥の子あばれ祭り3]
亥の子信仰の本来的とも思われる行事で、田の神様を、収穫も終わり、山へお返しされる神事で。山上にある山口神社までお札を交換に行かれます。真っ暗な道を、頭屋さんが無言で往復されます。この社は来年まで次の頭屋さん宅に祀られます。(2005.12.4)(桜井市)

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[ナンキンハゼ・奈良公園]

奈良公園にはナンキンハゼが多く見られます。ナンキンハゼは紅葉もきれいですが、白い実もきれいなものです。晴れた冬空に花が咲いた様。
(2005.12.18)(奈良市)

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[談山神社冬景1]
冬の談山神社は静かです。十三重の塔にうっすらと雪、境内の柿の木も冠雪。全山モノトーンの中で、社の朱と柿の実の赤がひときわ鮮やかでした。
(2005.12.22)(桜井市)

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[談山神社冬景2]
西暦645年、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)と中大兄皇子(後の天智天皇)が多武峰(とうのみね)の山中にて大化の改新の談合を行ったとのことに由来する談山神社。父鎌足公の追福を願って長男・定慧、次男・不比らによって678年に建立された。今の塔は1532年の再建だが、木造十三重の塔としては世界唯一のもの。神社に塔は神仏混淆時代の名残でしょうか。檜皮葺の屋根が相当いたんでおり、近く修復されるとのこと。(2005.12.22)(桜井市)


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