城山の案内図 |
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3層4階の白亜の復興天守 |
1962年(昭和37)物見付の天守が鉄筋コンクリートで復興された。城下からみえやすくため、旧天守台より南の山ぎわに建造され、史料をもとに、桃山風南蛮造りといわれている。1階から3階は刀剣・甲冑・武具類を展示、物見は展望質になっている。 |
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天守南側 |
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西北隅の石落し |
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標高216mの横山に登るには麓から出ているロープウェーに乗れば3分間ほどで山頂駅に到着します。 |
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山頂駅から天守への道は、左は整備された道で、右側は本丸搦手となっており今でも原生林に囲まれ当時の面影を残している。 |
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二の丸跡の石垣 |
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北の丸広場(公園になっている) |
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北の丸跡に残っている崩れた石垣 |
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北の丸の北側に残る石垣群 |
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北の丸跡と本丸跡の間に、長さ約60m、幅約40mの規模で掘られ、西日本最大の空堀の遺構がある。 |
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北の丸と本丸に架けられた橋 |
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旧天守台 |
約20m四方の石垣は、古式穴太(あのう)積みを基本にしながら、戦国期の吉川氏独自の石積み技術を加味した造り。1.5km西南の護館神(ごかいじん)周辺から切り出した石灰岩を使用している。旧天守台は上部が破壊されていたが、近年その部分も復元された。 |
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大釣井 |
本丸跡西の搦手側にある。築城と同時につくられ、非常時の武器弾薬を収納するほかね包囲されたときの脱出口を兼ねた井戸との説もある。 |
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東矢倉跡 |
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二の丸広場 |
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大手門跡 |
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出丸跡 |
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二の丸広場にある時計塔 |
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