岩国城をゆく
錦帯橋を渡り吉香公園入口にある3代藩主吉川広嘉(ひろよし)像
城下を流れる錦川は増水時、たびたび橋を押し流していた。渡し船に頼らず、安全で流れない橋造りを行った。岩国に滞在した明の帰化僧、独立(どくりゅう)の所持する「西湖遊覧誌」の挿絵からヒントを得て、錦川に橋台(きょうだい)を並べ、アーチ型の橋を架ける構想をまとめた。橋脚のない肘木工法を工夫し、試行錯誤のすえ、14年がかりで完成した。藩庁のある横山と城下を結ぶ5連の反り橋は、現在に至るまで「不落の名橋」として岩国の象徴となった。
香川家長屋門
旧目加田家住宅
白  蛇  (国の天然記念物)
目加田家のそばに、白蛇の観覧所があります。6代藩主吉川経長(つねなが)のころ、米倉にいた青大将が異変したと伝えられ、幸運をよぶ家の守り神として、城下で保護を受けたという。長さは2m近く、真っ白な体で目は赤く、神秘的な姿をしており、現在では保存会の手で保護繁殖している。
吉香(きつこう)神社
山頂の城は一国一城によって廃城となったが、藩の政治は麓の藩主居館で行われた。居館は三方に堀をめぐらし、石垣と櫓を配した構造が本丸を思わせたが、明治に姿を消し、跡地は現在吉香神社として、始祖吉川経義をはじめ吉川代々の霊を祀っている。社殿は1728年(享保13)の構造。
錦雲閣(きんうんかく)(吉香神社の南側に建っている)
錦雲閣は櫓を思わせる建物で、1885年(明治18)も居館跡に吉香神社がが移ったとき、絵馬堂として建てられた。藩政時代、この場所には3階建ての南櫓があった。
吉香公園
吉香公園の噴水
吉香公園から西側には岩国藩主吉川家歴代の墓所がある。
墓所に隣接する「永興寺」
六角亭
紅葉谷公園の風景
公園は吉香公園南西の横山(城山)の山麓にあり、もとは寺院が集まり寺谷と言われており秋には「もみじ」「銀杏」が色付き紅葉谷公園として親しまれている。
吉川経家弔魂碑
佐々木小次郎碑
佐々木小次郎の出生は定かではなく、豊前国田川郡副田庄説、越前福井市説等があり、吉川英治の小説『宮本武蔵』では、周防岩国の産、ということになっている。
佐々木小次郎がツバメ返しを練習したという錦帯橋の近くに、その旨を刻んだ碑がたっている。ツバメ返しの構えをとる小次郎の像も立っている。
もっとも錦帯橋が架けられたのは、1673年(延宝1)岩国藩主吉川広正の代であ
、「錦帯橋のたもとで飛び来ったツバメを斬って秘太刀を編み。つまり小次郎が生きた時代には錦帯橋はなかった。まあ、小次郎の練習場所だったところに、後になって橋が架けられたということも考えられるが、いずれにしても岩国と小次郎をむすぶ線がほかに見当たらない。
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