本丸跡に建つ城跡碑
山頂付近の本丸跡
本丸跡からみた金華山(金華山山頂には岐阜城がある)
鷺山山麓は現在「鷺山公園」として整備されている(平成19年9月定礎)
公園から山頂への登り口
昭和39年頃、鷺山の麓付近を宅地造成工事したおり、山の南側中腹から出土したもので、礎石の確定的な論証は出来ないが古城をしのぶ貴重な資料として展示されている。
南側中腹付近にある巨石。これも礎石の一部なのだろうか?
復元された山囲いの石垣
鷺山の麓に祀ってある北野神社
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鷺山城をゆく

鎌倉時代の文治年間(1185年 - 1190年)、佐竹常陸介秀義が築城する。室町時代、美濃国守護大名である土岐氏の城となるが、1353年(文和2年)に川手城が築城されると、鷺山城は重要視されなくなり、次第に衰退する。永正年間、土岐頼芸が鷺山城を再興し、後の土岐氏第11代として川手城に入るまで居城する。1530年(享禄3年)、斎藤道三により土岐氏が追放され、道三が稲葉山城に拠点を移したことにより再び衰退する。

1548年(天文17年)、道三が家督を息子の斎藤義龍に譲ると鷺山城を改修、鷺山城に隠居する。しかし義龍はこの道三の行動を、家督を義竜の弟(斉藤龍重、斉藤龍定)に譲ると勘違いし、1555年(弘治元年)、道三を鷺山城から追放する。1556年(弘治2年)には、義龍は道三を攻め滅ぼし、これを討ち取る(長良川の戦い)。この戦いの後、鷺山城は廃城となる。

撮影日 2008.04.12