本丸跡にある「仙台城址碑」
仙台城の配置図
大手門隅櫓
大手門は国宝に指定されていたが昭和20年の仙台空襲の際焼失し、隅櫓のみが昭和42年に再建された。
大手門脇櫓(外観復元)
中の門跡
北(坂下)側は切込ハギ
巽櫓跡
本丸南東部に位置し、三層の櫓が建てられていた。現在は石垣と礎石の一部を残している。
本丸跡の広場
伊達政宗公 騎馬像
初代伊達政宗公騎馬像は小室達(こむろとおる)によって昭和10年に完成したが、太平洋戦争の最中金属供出によって失われてしまった。そこで戦後に柳原義達によって平服で直立姿の政宗公像が再建されたが市民には不評であった。その後初代の騎馬像の鋳型が発見され、昭和39年に再建され現在に至る。
詰ノ門跡に建つ護国神社の鳥居
詰ノ門跡
本丸詰門西側から向こうは古い状態のまま残されている(当日は雨のため霧に包まれ幻想的な風景でした)
詰門西石垣の裏側
本丸石垣
艮櫓跡石垣
この石垣の上にが設置されていた。天守閣を持たなかった仙台城の中では最も高さと威容を誇った建造物であっただろう。現在の石垣は2004年3月に補強され積み直された物だが、その際それまで地表に露出していた第V期の物である切石の石垣の内部に第T期の野面積から第U期の補修の際の石垣が発見され、都合3期にわたっての変遷が確認された。
築城期(第1期)の石垣モデル
第3期の石垣モデル
本丸跡(石垣の上)
本丸跡の上から眺めた石垣
艮櫓があつた所

本丸跡に建てられた宮城県護国神社
雨に煙る仙台市内風景(本丸跡から)
天気の良い日には本丸跡らこの様に仙台市内が眺められます(展示用写真パネルから
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仙台城(せんだいじょう)は、現在の宮城県仙台市青葉区(陸奥国宮城郡)の青葉山にある平山城である。雅称は「青葉城」。「五城楼」との別名もある。
縄張りは青葉山を削平して本丸を置き、その北側に二の丸・三の丸を配置する。
城の北から東へと蛇行して流れる広瀬川を天然の外堀として、本丸の南側は竜ノ口渓谷という約40mの深い谷、東は広瀬川に面した高さ60mの断崖、西側は青葉山の原生林が迫る天然の要害で、石垣などの防御施設は主に本丸北側に設けられている。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦において東軍に与した伊達政宗は、徳川家康が約束した新領地をふまえて、領地の西北に位置する岩出山から仙台に居城を移すことに決め、青葉山に築城を開始する。
伊達政宗の築いた仙台城は本丸部分で、千畳敷と謳われた大広間をもつ豪壮な本丸御殿や、広瀬川を望む断崖に懸作造りの書院が建造された。本丸南西隅には天守台を設けるが、天守は江戸時代を通じて造られなかった。
第2代の忠宗の時代になると、山上の本丸は不便なことから山麓に二の丸を構え、政庁と藩主の私邸として、城の中心的な役割を担った。
仙台城は江戸時代を通じて伊達62万余石の居城しとて明治維新を迎える。本丸の建物は破却され、二の丸の遺構は1882年(明治15)に火災によって焼失した。残った大手門は1931年(昭和6)に国宝に指定されたが、戦災により隅櫓とともに焼失し、現在の復興隅櫓が建つ。近年、本丸石垣の修復工事により、正宗時代の石垣が発見された。

仙台城をゆく
撮影 2008.04.18